彼方のはなし

賽助という小説家がいて、これがまあたいそう酷い男である。

どれほど酷い男なのか、その逸話は枚挙に暇が無く、
まだ一冊しか出していないのに小説家を名乗る辺り、
なかなか図太い男であることは理解出来るのだが、
それにしても酷い男なのだ。

例えば彼は先日、担当と打ち合わせのため、新宿の某喫茶店に出向いた。
どうやら次の小説についての話らしく、
彼が頑張れば、次の作品を世に発表できるかも知れないという。

「もう一冊出れば、これはいよいよ小説家を名乗って良いはず」

彼は鼻息を荒くした。

しかし、出ると確約されたわけではなく、やらなければならないことは山積みな筈なのだが、
彼はなんだかもう次の作品が出たような気になっていて、
家に帰ると「ま、一旦」とゲームを起動し、
止せば良いのにガンダム遊戯に勤しみながら「ちくしょう!」と叫び声を上げ続けた。

ようするに屑なのだ。

そんな屑が、今日も一人で映画館に出かけた。

『心が叫びたがっている』というアニメーション映画を観て、
とある野球部員の行動に涙を流しつつ、
「なんだか物語に出てくる野球部員は良い奴が多い気がするなぁ」
と少し疑問に思った。

彼もまた、中学生の頃は野球部員であった筈なのだが、
二年間所属したのち卓球部に移籍したので、
良い奴にはなれなかった。

もし彼が野球を続けていたなら、彼の人生はもう少し真っ当だったかも知れない。
非常に残念な話だ。

ちなみに、彼がその野球部に所属していたとき、
一度だけ代打で練習試合に出場したことがある。

打席に立った彼は、チラと顧問の先生を見る。
顧問はパッパとハンドサインで指示をしていたが、
彼には全く意味が分からなかった。

サインなんて教わってなかったのだ。

しかし、彼にサインは必要なかった。
打つから、ではない。
打たないからだ。

彼があまりにも背が低かっただろう、
打席に立つ前、顧問の先生から「バットを振るな」と言われていた。
なので彼はその言いつけ通り、一度もバットを振らなかった。

顧問の作戦は見事的中し、四球をものにした彼はてくてくと一塁へ歩いた。
そして、その後「代走」の指示が下り、彼はベンチに引っ込むことになる。

彼は打撃も、走塁も、全く期待されていなかったのだ。

普通ならば、そこで心に傷の一つでも負いそうなものだが、
彼は「名采配だなぁ」と感心していたのだから仕方が無い。

ただ、彼が野球部を辞めると顧問に告げた時、
「お前は磨けば光るのに」と言われた事に対しては、

「うそつけ!」と心の中で叫んだ。叫びながら辞めた。

しかし、『磨けば光る(四球要員として)』であったのかも知れない、
そうなると、ある意味切り札として活躍できていたのではないか?
これは惜しいことをしたなあ……などと今の彼は思ったりするのだが、
その後の彼は身長が人並みになってしまうので、
結局、四球要員としての寿命は短かったであろう。

むしろ、もっと真剣に野球に取り組んでおくべきだったのだが、
そこはあまり考えていない所も、彼の酷さを象徴していると言える。

その後、部員の少ない卓球部へ移籍し、一度だけ出た公式戦にて、
そこで本来なら用意すべきだったゼッケンを用意し忘れ、
急遽、着てきたYシャツを切り取り、安全ピンで留めて参加する、という、
非常に情けなく愚かしい過去もあるのだが、
それはまた別の機会に。