吾輩と、猫である③
『お見合い』
お見合いとは、結婚を希望する年頃の男女が、
両親や世話好きの親戚のオバチャンの仲介によって、
鹿威しの鳴り響く旅館だか料亭的なところで初対面し、
「あとは若い人同士で……ホホホ」という台詞を合図に、
「ちょっと歩きましょうか」などと言いつつ庭園を散歩、
お互いのことを話し合い、その気になったは良いものの、
実は女性側には忘れられない好きな人が居て、
「とても優しい人なんだけど……本当にごめんなさい」
という言葉と共に男性側が振られるという日本の習慣である。
そんなお見合いが、猫の里親になるときにも行われるというのである。
人同士と違って、結婚を前提にするわけでは無いが、
家族になる、という点では同じことである。
今までは写真でしか知らなかった猫とそこで初めて出会い、
互いの相性を見極める貴重な場――ということだ。
そして、猫ともそうだが、保護主さんとも初めて会うことになるわけである。
ここで印象を悪くしようものなら、
「この話は無かったことに……」となるのは必然である。
考えれば考えるほど、緊張してしまう。
人生初の『お見合い』の文字が深く伸し掛かってくる。
そもそも吾輩はまず人とお見合いをするべきなのかも知れないが、
世話好きの親戚がおらぬ故、残念ながら出来ない。
両親は地元のサッカーチームである浦和レッズに夢中であるため、そもそも吾輩に興味が無い。
(吾輩や兄に子がおらぬため、孫代わりにレッズを応援しているのではないかという説がある)
ともあれ、お見合いである。
吾輩はとりあえず髪を切りに行った。
少しでも好印象を与えようという想いが吾輩の髪を刈り取った。
相手は吾輩のツイッターを見ているわけで、
つまりは『おちんちん!』と全世界に発信している様を知っているわけであるから、
今更髪の毛が少し短くなった程度で何を挽回できるわけでも無いのだが、
刈り取られた髪が、床以外の何かを覆い隠してくれと祈るばかりである。
そして、もう一つの懸念。
吾輩は恐ろしいほどの口下手である。
どうでも良い場面であれば饒舌にもなれるのだが、
ここぞというときに酷く弱い。
まず代打では起用出来ないと思うので、各球団の監督は覚えておいて欲しい。
恐らく、保護主さんとの会話が困難になるであろうと考えた吾輩は、
保険として、学生時代の後輩を連れて行くことにした。
勿論、何ら関係のない人物と言うわけでは無い。
吾輩そこまで非常識な人間ではない。
高校時代、別の高校に通っている元同級生と遊ぶ予定であったのに、
いざ出向いてみれば、その元同級生の高校の友人が複数いて、
どう考えても吾輩の方が邪魔ものであり、
「これは一体……?」と頭を抱えた記憶があるが、
そういうことでは無い。
その後輩とは、猫の面倒を見てくれる予定の男である。
つまり彼もまた関係者であるからして、このお見合いに参加する義務があるのだ。
「猫のお見合いに付いて来い」
吾輩は、今やもうかなり薄まっているであろう先輩権限を行使した。
これは嫌がるであろう。吾輩ならば絶対に嫌だ。
断られてもまあ仕方あるまい、と思っていたのであるが、
彼は随分と乗り気であった。
どうやらかなり猫が好きなようだ。
それに彼は、吾輩が生物的にかなり頼りないことを知っている数少ない人物であるから、
自分がどうにかせねば、という責任感が芽生えているのかもしれない。
それはかなり癪ではあるが、この際、来てくれるなら良しとしよう。
吾輩の考えた策は、保護主さんとの会話の殆どを、そいつに任せようというものである。
そして、それは大成功であった。
そいつは初対面でも陽気な雰囲気で話すことが出来ることだけが得意な男であったから、
ここで成功させなければ、存在する意味すら無くなってしまうので、ある意味当然ではあるのかも知れないが、
そいつが話を振り、保護主さんが答え、吾輩はひらすらに相槌を打った。
まるで吾輩は、会話においての句読点的存在であったことだろう。
有ると無いとでは全く違うのだ。多分そんな感じで必要な存在であったはずだ。
和やかな雰囲気の中、吾輩は4匹の子猫たちと対面した。
どれもこれも小さく、愛らしい存在であった。
この子が良いかな、と前もって決めていたキジ白のオスとキジトラのメスは、
猫じゃらしを振れば我れが我れがと飛び出してくる、それはもう絶大なる可愛さであった。
特にキジ白は恐ろしいほどの人懐っこさで、
猫初心者の吾輩とも遊んでくれたし、良く駆け回っていた。
キジ白、キジトラのメス。
当初の予定通り、この2匹は元気で良いな、決定かな、と思っていたのだが、
――ふと、気になる猫がいた。
それは、4兄弟のうちの1匹。
キジトラのオスである。
3匹がダバダバと走り回っている中、その1匹だけは、
物陰に隠れて全く出てこなかった。
身体も小さく、どこか気弱な目をしていた。
保護主さんがどうにか引っ張り出してはいたが、すぐに物陰に引っ込んでしまう。
「折角のお見合いなのに」
保護主さんは苦笑いを浮かべていた。
「この子はちょっと臆病で心配なんです」
そう言った。
吾輩はその時、あることを悟ったのである。
このお見合いは吾輩にとって、里親になれるかどうかの勝負時であるが、
実は猫たちにとっても、里親となる家に迎えて貰えるかどうかの勝負時なのである、と。
だから保護主さんも、出てこない猫のことを心配していたのである。
吾輩は『自分は里親として不可である』と思っていたから考え付かなかったのだが、
里親としてふさわしい人物、生まれながらにして里親の才能を持った、いわゆる天賦の里親――『天里』からすれば、
基本的に、どの猫にするかを選び放題な立場にいるわけである。
吾輩でさえ選ばせて貰える権利があったわけであるから、
天里からすれば言わずもがなであろう。
そんな中で、自分をアピール出来ない猫がいる。
無論、アピールする場であるというのは、人間が決めたことである。
彼らにはそんなつもりは毛頭ないだろう。
しかし、今ここはそういう場であることになってしまっており、
加えて、その猫は生まれながらにして臆病で、恐らく人との付き合いが苦手なのだ。
この猫は、きっと選ばれない猫である。
誰だって、人懐っこくて元気が良い。
その方が愛されるのだ。世の中とはそういうものである。
吾輩も、幼少時は、それはそれは選ばれなかった。
小学校の時、グループを作る際、
必ずと言っていいほど吾輩は余った。
クラスの人気者たちが、最後の最後で嫌々吾輩を選ぶということが多々あった。
それは仕方がない。
吾輩は背も小さく、運動が出来ず、さらに勉強も出来ず、
かといって性格も決して宜しくは無いという、
義務教育課程においては何の役に立つのか全く分からない存在であったのだ。
そう言えば今思い出したのだが、ネットの世界でもそうであった。
吾輩、学生時代にとあるオンラインゲームに手を出していたことがあるのだが、
そこで、2チームに分かれて対人戦を行う、という催しがあった。
有名と思しきプレイヤーが、どの人物を自陣に加えるか選んでいく。
そこでも吾輩は余った。
課金額が足りなかった。
課金額と、ほんのちょっとコミュニケーション能力が足りなかった。
(大人になっても選ばれないのか……)
と酷く落ち込んだ覚えがある。
この猫と吾輩は似ている――などと、そんなことを感じてしまった。
聞けば、後輩もそんなことを言っている。
後輩のくせにそんなことを言うのは失礼な奴であるが、吾輩は納得してしまった。
猫初心者が、人慣れしていない猫を迎えることが出来るのか?
はっきり言えば、とても不安である。
上手くやっていける自信は到底持てなかった。
しかし、吾輩は彼を選ぶことにした。
吾輩が彼を選ばねばならぬ、という変な義務感が生まれていた。
彼にとっては失礼な話であろう。
子供時代の吾輩が耳にしたら、それはそれで落ち込んでいた筈だ。
もう1匹は最初の予定通り、オスのキジ白にした。
吾輩ともよく遊んでくれたし、聞けば好奇心旺盛で人慣れが早いという。
臆病なキジトラとも見分けが付くし、彼との相性も悪くないらしい。
気が付けば両方ともオスになってしまったが、
そんなことはどうでも良くなっていた。
保護主さんはたいそう喜んでくれた。
そうして、お見合いは終了する。
猫たちはワクチンの接種などがあり、吾輩もまた、猫たちの住処を作るべく用意せねばならない。
しばらくの期間あいた後、今度は彼らが吾輩の家に来る予定となる。
吾輩は猫を飼う。
その準備に入るのである。