吾輩と、猫である⑥

猫が吾輩の家にやって来てから、2週間が経ったある日、
2匹を病院へ連れていくことになった。


ワクチン接種である。


1回目はすでに保護主さん宅で済ませていたので、
次が2回目ということになる。


前日に動物病院へ電話したところ、
予約などは必要なく、来たらすぐに投与出来るとのことだった。


人間に比べると、案外簡単なものらしい。


早速とばかりにキャリーケースに入れて、動物病院へ向かった。
道中、チラと籠を見てみると、2匹は寄り添うように小さくなっていた。


外が怖いのだろうか。


彼らは昔(といっても3カ月ほどしかたっていないが)、一か月ほど、
どこかのショッピングセンターの駐車場にいたらしいが、
保護されてからはずっと室内暮らしだったのである。


外界にはあまり慣れていないのであろう。


今日はたまたまワクチン接種で外に出たわけであるが、
それが済んだらまた、室内暮らしである。


家の中は、外界よりは安全だ。


確かに室内には吾輩という危険人物はいるが、
車やトラックよりは柔らかいので、多少は当たっても大丈夫である。

むしろ吾輩の方が壊れやすい部分がある。心とか。


彼らを外に出すつもりは無い。

しかし、それが彼らにとっての幸せに繋がるのだろうかと、
ほんのちょっとだけ考えてしまった。


考えても詮無いことだとは分かっているが、
そんなことを思いながら、動物病院へとたどり着いた。


病院ではカルテを作ることになる。
そこで、猫の名前を告げる必要があった。



吾輩は、猫が来てから一週間ほど経って、
ようやくキジ白とキジトラに名前を付けた。


例えばゲームなどで、主人公だの、子供だの、友人だのに名前を付ける瞬間が訪れるのことがあるが、
その時は、案外簡単に付けることが出来る。

しかし、いざ現実、猫の名前を付けるとなると、
『本当にこれでいいですか?』という言葉が浮かび、
なかなか決定することが出来なかったのだ。


どうやら、猫の名前は早めに付けて、名を呼ぶようにしてやった方が良いらしい。


猫は自分の名を覚えるらしいのだ。
だから、早くから呼んでやれば、それだけ覚える時間も早くなるということだろう。



悩んだ末、
キジ白には早助(そうすけ)、
キジトラはに退助(たいすけ)と名を付けた。


早助はその名の通り、順応性が早いから早助である。
退助もまた名の通り、すぐ逃げるから退助である。


2匹合わせて早退だ。
我ながら、すぐに家に帰りたくなる、良き名だと思った。



それ以来、時折名を呼んでみるのだが、一向に無視されている。
果たして本当に覚えるのだろうか。はなはだ疑問である。



名をつけたから、というわけではないだろうが、
2匹はほぼ毎日、ケージのハンモックで眠るようになった。

来てからしばらくは、ケージ内に慣れて貰うために中で過ごして貰っていたのだが、
それが功を奏したということなのだろう。


初日などは、退助はずっとトイレの中にいたものだし、
それを見かねてか早助も中に入り、2匹してトイレの中で寝ていたものだ。


確かに、トイレは落ち着くところである。


幸いにして、吾輩は学生時代にトイレの中でご飯を食べたり、
あるいは休み時間を過ごしたことは無いのだが、

大人になってから、例えば何かの飲み会とか、居たたまれない空間に置かれたときには、
結構トイレに逃げ込むことが多いので、その気持ちはよく分かった。


人間も猫も、その辺の同じ感覚だと言うことだろう。


今では2匹とも我が物顔で家の中を駆け回っている。
2匹が寝ている時などは、物音を立てないように吾輩はそっと動いている。


どちらが家主なのか分かったものではない。

家賃を払っているぶん、吾輩が偉いはずなのだが、
どうにも分からなくなってきた。



それはさておき、動物病院である。


とりたてて大きな事件も無く、ワクチン接種はあっという間に終わった。
獣医がものすごいスピードで注射をしたので、
恐らく猫たちは注射されたことにすら気付いていないのではないだろうか。


処置室での注射に当たって、キャリーケースの中から2匹を出す際、
吾輩は2匹の逃亡を懸念していたのであるが、

2匹は逃げ出すどころか、吾輩の身体から首元へと駆け上がり、
そこで小さく縮こまっていた。



これがどのような感情によるものなのか、吾輩には分からない。


人間的な感覚で言えば、猫は吾輩を頼って、吾輩にしがみついた、ということになる。


そうであれば、吾輩としてはとても感動する事態なのであるが、
本当のところは猫にしか分からないことだ。



しかし、処置が終わり、カルテを手にしたとき、
そこに並べられた吾輩と猫の名を見て、


吾輩は彼らの親となったのだと自覚したのは事実である。



いささか遅いのかもしれないが、吾輩はそこで初めて、
彼らの親となった気がした。



『猫を飼うと婚期が遅れる』



なるほど、言いえて妙である。



吾輩は嫁を貰わずして、すでに子がいるのだ。



正確に言うのならば『婚期が遅れている』ではなく『婚期を飛び越えた』ことになる。

『婚姻』という過程をスキップしたわけだ。



現時点で、結婚はしているが子供はまだ居ないという同級生がいる。
方や、結婚はしていないし相手も居ないが、子供はいる吾輩がいる。


彼らと吾輩とを比べた時、
これはもう、ほぼ同じステージにいると言っても過言では無かろう。


年賀状とか、ここしばらく書いてはいないが、
吾輩と猫2匹の写真でも撮って送ってやろうか、などと考える自分が居た。



ともあれ、吾輩は2匹の子一緒に、これから十数年間を暮らしていくのだろう。

まだ色々と分からないことだらけであるが、
人間の父も、学びながら成長していくとの噂を耳にしたことがある。



世の男性がそうであるように、吾輩もまた、そうすれば良いのだ。



吾輩は、父なのである。