吾輩と、猫である②
保護主さんからはすぐに返信が来た。
『フォロワーの数が多くてめっちゃ気持ち悪いんですけど。
と言うかゲームしてるんですか? その年齢でまだ?
あと小説読みましたつまらなかったです(笑)』
というような内容が返ってくるんだろう……。
でも吾輩の本を買ってくれたのなら「ありがとうございました」と言うべきだよなぁ……、
などと思っていたのであるが、
その返信は、予想を超えて、とてもポジティブなものだった。
どうやら、吾輩のツイッターが吉と出たようである。
『おちんちん』に類する文言しか呟いていないのに吉と出たのは、まさに奇跡である。
返信内容から察するに、
小説を出している、というところが、言わば『公的な人間である』と思って貰えたらしい。
フォロワーが多い、というところが、言い換えれば『衆人環視に晒されている』とも言えるので良かったらしい。
ゲームで遊んでいる、というところが……多分きっと何かしら良いと思って貰えたのだろう。多分。
ともあれ、やり取りはぐんぐん進んだ。
吾輩は猫初心者である。
吾輩は男性単身者である。
良いのですか? 本当に大丈夫なのですか?
保護主さんが恐れ慄く地獄の使いこと男性単身者ですよ?
世間一般では『不可認定』である吾輩が名乗り出ているのですよ?
どうか一度、冷静になられて下さい――。
みたいな、どこの立場からなのか分からない文言を送り付けてしまった気がする。
吾輩はこういう時、ちょっと自虐的になるきらいがあるのだ。
駄目なら駄目で仕方がないや、と思ってしまうタイプなのだ。
そんな吾輩に対して、保護主さんは丁寧に返答してくれた。
なんなら『良く調べていますね』とまで仰って下さった。
そうして、あれよあれよと話は進んでいくのである。
『どの猫に興味がありますか?』との問いが来た。
保護された4匹は兄弟である。
3匹がキジトラで、1匹がキジ白。
3匹のキジトラのうち、1匹がメスで、あとはオス。
キジ白もオスである。
正直なところ、どの猫も可愛いのである。
しかし、吾輩の答えは「この猫!」というものではなかった。
猫初心者であることを考えれば大それた話ではあるが、
吾輩は、出来れば2匹お迎えしようと考えていた。
それには理由がある。
幾つかの記事に載っていたのだが、
複数の猫を飼う、所謂『多頭飼い』にはメリットがあるようだ。
曰く、猫同士で遊ぶので、留守番の寂しさを紛らわすことが出来るらしい。
曰く、追いかけっこをするので、運動不足の解消に繋がるらしい。
曰く、猫同士でじゃれ合うことにより、社会性を身に着けることが出来るらしい――等々。
吾輩、とにかく猫に寂しい思いをさせるのは嫌であった。
吾輩自身、兄がおり、両親、祖母、そして2兄弟での生活であったが、
留守番で1人になった時などはとても寂しかったものだ。
1人で留守番をしていたある日、暗い部屋でアニメを見ていたら、
不意に左のふくらはぎが攣った。
あまりの痛みに暴れていたら、次は右の足が攣った。
両足を攣った吾輩は「地獄だ!」とのたうちまわり、誰に届かぬ助けを求めたことを今でも覚えている。
あの時兄が居たら――いや、居ても別にどうにもならなかっただろうが、
ちょっとは何かの役に立ったかも知れぬ。
兄が居て良かったことを思い返してみると、
やはり、一番のメリットは、ゲームや漫画の貸し借りであろう。
兄が買ったものは、弟が買う必要はない。
逆もまた然りである。
これは、少ないお小遣いで遣り繰りせねばならぬ幼少期にとっては、
とてもありがたいことであった。
「この漫画は兄が買っているので、吾輩は別のものを買えるな――」
そんな算段で、我ら兄弟は手広く趣味を広げていったのである。
そんな感じであったから、兄弟喧嘩しようものなら散々だった。
『兄が所有している漫画を読むの禁止令』が発令されてしまうのである。
これはかなりキツイ。
読みたいものが読めなくなってしまうのだ。
しかも、こっそり読むなどして禁を破り、それが何らかの拍子にバレてしまうと、
『蔵書のシリーズを集める権利の破棄』という罰則が待っている。
これはどういうことなのか。
例えば吾輩が、漫画『珍遊記』を集めていたとする。
そして吾輩は禁を破り、罰として『珍遊記』の権利を兄に奪われるとする。
すると、吾輩にはもう『珍遊記』を集めることは出来なくなるのだ。
代わりに兄がそれを集めることになるのである。
別に良いじゃん、余計なお金使わないで済むのだから――と言う声が聞こえるが、
否、そうでは無いのだ。
『自分はコレを集めている』ということが、ステイタスになる場合がある。
誰に威張れるわけでもないのだが、自分が偉いと感じるのだ。
自分はこの漫画シリーズのために、これだけの労力を払っておりますよ、という自負。
それが己を強くするのだ。
一つ、例を挙げるとしよう。
『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメが地上波で放映された。
吾輩が高校生の時である。
吾輩はこのアニメの1話目を見て、確信した。
これは恐ろしいアニメーションになる、と。
吾輩は真っ先に兄に教えてやった。
兄はその存在を知らなかったらしいが、やはり震え上がったようだ。
吾輩は鼻高々であった。
これは吾輩が見つけたアニメである。
当然のように権利を主張し、『新世紀エヴァンゲリオン』の単行本を買い、
ほくほくとアニメを録画し始めた。
そんな吾輩に向け、兄が放った一言がある。
「お前、責任をもって全てのコンテンツを所有出来るのだろうな」
当時、漫画、アニメブームはすでに始まっており、
人気アニメともなると、当然のようにレーザーディスク、あるいはDVD化され、
(当時はまだブルーレイディスクは存在していなかった)
主題歌のCD、サウンドトラックが納められたCDはもとより、
本編とは無関係のドラマCD、各キャラクターの音楽CDなんかも発売される場合があるのだ。
「それら全てを網羅出来る体力はあるのだろうな?」
尖った作品を発掘した気になり、浮かれている吾輩に、兄はそう告げたのである。
「俺なら、出来る」
兄は言った。
それはそうである。
兄は吾輩よりも4つ上。当時大学生であったはずだ。
アルバイトもやっていたから、金銭的にもかなり余裕があったであろう。
かたや、吾輩は高校生。
おまけに校則でアルバイトは禁止されている身だ。
とうてい、勝てるわけがない。
というか、そんなアニメの副産物にまで手が回るはずがない。
川が低きに流れるが如く、権利は吾輩から兄へと移行した。
そして兄は、私が知る限り、そこから凡そ10年もの間、
彼が出来得る限り、多くのグッズを集め続けたのである。
恐ろしいことに、かのアニメはまだ完結していないので、
今どうなっているのかは分からない。
兄は立派だった。
立派な消費者であった。
何が兄を動かしたのか。
勿論、アニメーションの素晴らしさもある。
しかし、それと同等に存在する魅力が、
『自分はコレを集めている』というステイタスだ。
時折、皆も聞くことがあろう。
「俺、この歌手が売れる前から知ってたし」
という、世にもしょうもないアレと似ている。
要するに、興味のない輩にとってはしょうもない価値観ではあるのだが、
しかし、それが大事だという人間もいるのだという事を分かって欲しい。
――はて、一体、これは何の話をしていたのだっけ?
……そう、猫を2匹欲しかったという話である。
つまり、兄弟は楽しいぞと、そういうことが言いたかったのだ。
だから、吾輩は出来れば2匹でお迎えしたいとの意向を保護主さんに伝えた。
保護主さんは「それは良いことだと思います」と仰って下さった。
『どの猫とどの猫にしますか?』との問い。
保護された4兄弟。
3匹がキジトラで、1匹がキジ白。
3匹のキジトラのうち、1匹がメスで、あとはオス。
キジ白もオスである。
そのうち、1匹のキジトラのオスは、
すでに別の里親が決まろうとしているらしい。
残されたのは、2匹のキジトラのオスとメス、
そしてキジ白のオスであった。
吾輩、情けないことであるが、猫初心者であるが故、
キジトラの区別が付かない恐れがあった。
なので、1匹はキジ白に、もう1匹をキジトラにすれば、区別が付いて良いと考えたのである。
そして、キジ白はオスであるから、キジトラのメスを迎え入れれば、
オスとメスの違いも分かって楽しいかなと、そう考えたのである。
そのように保護主さんに伝えた。
保護主さんも「確かに」と了承してくれた。
そして、実際に猫たちと対面する『お見合い』と呼ばれる催しの日取りが決められたのである。