吾輩と、猫である⑤
猫が来た。
保護主さんと一緒に現れたキジ白とキジトラ、2匹の猫である。
不慣れな室内であるにも関わらず、保護主さんがいるからか、
室内をてくてくと歩き回っている。
特にキジ白は前評判通り好奇心旺盛で、
パソコンデスクに上がったり、様々な場所の匂いを嗅いでは、
何かに納得したようにして、別の場所へ向かい出す。
キジトラの方はやはり怯えているようで、
歩くこともあるが、すぐに保護主さんの元へ駈け込んだり、
あるいはタオルにくるまって小さくなっていた。
知らない場所、知らない部屋。
そして知らない男と、知らない尽くしだ。
猫どころか、小中学校の同級生でさえ『この人は……知らないです』と答えるであろう吾輩である。
彼ら同級生たちは、それぞれ妻子を持ち、順調に家系を存続させ、DNAの螺旋を次世代へと繋いでいる中で、
意気揚々と猫2匹を迎え入れようとしている吾輩である。
種の保存の法則を完全無視である。
ともすれば、政府が打ち立てた政策の対象となりうる吾輩である。
それはそれは、不安であろう。
これから、そんな吾輩と暮らしていくことになるのだ。
猫たちも『こいつは大丈夫なのか?』と思っていることだろう。
『こいつ、友人も殆どおらず、伴侶も無く、本当にこの先大丈夫なのか……?』と。
それに関しては、吾輩も大いに不安視しているところである。
しかし、保護主さんがいる手前、
「めっちゃ不安です。特に将来のこととか考えると吐きそうですップ」
なんて言えるはずもなく(なんなら吐いているし)、
吾輩はただただ、彼らの行動を見守っていた。
しかし、光明もある。
吾輩の部屋に一通り並べられた猫グッズの多さに、保護主さんは少し驚いていた。
これだけ揃っていればとりあえずは安心であろうとのことだった。
そこだけは、吾輩が自慢できるところだ。
吾輩、完ぺきをもって良しとするところがある。
クローゼットの中にある多量の土嚢と過剰な猫トイレについては、
勿論触れなかった。
その辺も完ぺきである。
保護主さんは、しばらく家で過ごしてもらった後、猫を置いて帰宅することとなる。
何かあったらすぐに連絡出来るよう、連絡先を交換した。
別れ際。
保護主さんは2匹を撫でた。
キジトラは静かに撫でられ、キジ白はデスクの上で眠っていた。
「お前は最後まで寝てるんだな」
キジ白の頭を撫でながら、保護主さんは苦笑いを浮かべた。
――お見合いの時、保護主さん宅にお邪魔した際に、こういう質問が出た。
「里親に引き渡すとき、悲しくならないんですか?」
その質問に、保護主さんは答えた。
「それは悲しい。けど、悲しんでたら里親の人に悪いから」
何となくぞんざいに、猫の頭を撫でる保護主さんの姿を見て、
吾輩はその言葉を思い出した。
里親とは、吾輩である。
吾輩はこれから里親になるのだ。
保護主さんがやっていたことを、吾輩がやらねばならぬ。
吾輩が、この猫たちの親となるのだ。
その覚悟が、果たして吾輩にあっただろうか。
このまま連れて帰って貰って、保護主さんの家で暮らした方が、幸せだったのではなかろうか。
ほんの一瞬、そんな想いが頭を過ぎった。
勿論、口に出せるはずもなかった。
外に出て保護主さんを見送った後、
吾輩は1人、家へと戻った。
部屋の中は静まり返っていた。
ドアの音が妙に反響した。
どこかで猫が動く音がする。
見れば、キジトラは洞穴のようなトイレの中でじっと縮こまっていた。
キジ白も、先ほどまでの元気な素振りはどこへやら、
吾輩から距離を取るようにして、静かにゆっくりと動いている。
吾輩もまた、椅子に座り、息を殺した。
彼らは吾輩に怖がっているのだ。
吾輩と、吾輩の家に怯えているのである。
それが感じ取れた。
あるいは、吾輩の緊張が伝播していたのかも知れぬ。
布ズレの音がひどく大きく聞こえた。
何をするにも、彼らを怯えさせる元凶になる気がして、
吾輩は何もできなかった。
『猫2匹と暮らしたら、これは騒がしくなるな!』
ほんの少し前まで、そんな呑気なことを思っていたわけであるが、
どういうわけか、吾輩の家は今、1人で暮らしていた時よりも静かである。
猫は動かない。
吾輩も動けない。
家の中はこんなにも猫たちの物で溢れかえっているというのに、
どれもこれもが孤独であった。
吾輩の家に、吾輩の希望通り、住人が増えようとしているわけではあるが、
おとぎ話よろしく、すぐに『幸せになりましたとさ』とはいかないようである。
吾輩と猫との物語は、むしろここから始まるのである。
どうか、めでたい結末を望むばかりだ。