吾輩と、猫である⑨
気が付けば吾輩は猫と2度目の年を越し、
彼らとの生活が当たり前になりつつあった1月10日のことである。
家に帰るなり、忘れぬように記しているので、かなり乱暴な記述となることを許して欲しい。
吾輩は退助を連れて救急動物センターへと向かった。
そして、そこで色々なことがあった。
話は数時間ほど遡って、まだ陽も昇らぬ朝4時ごろ。
猫たちが、餌を寄越せ、寄越さないなら暴れるぞと、
狭い部屋を縦横無尽に駆け回っていた。
猫たちは現在、6キロに届かんとしている巨体であるので、
餌をあげる量を調整し、どうにか痩せて貰おうと苦心しているのだが、
これがなかなか減らない。
そもそも飼い主自体が肥え始めており、体重の調整がままならぬと言うのに、
猫にのみ減量を強いるというのは甚だおかしいのかもしれないが、
なるべく彼らには健康体であって欲しいので、
心を鬼にして『餌よこせ大音声』を無視している。
正確には、無視をしたりおやつをあげたりしている。
餌の要求が無視され、飼い主が布団に入ると、
彼らが取る行動は大体2パターンに分かれる。
1つが、吾輩の傍へ寄ってきて、吾輩を挟むようにベッドで眠ること。
もう1つが、まるで当てつけるかのように2匹でバタバタと駆け回ることだ。
本日は後者だった。
いざ眠りに就かんと寝転がっていたのだが、
バタバタと辺りを駆け回り、どうにも眠れない。
「仕方ない、疲れさせよう」
吾輩はベッドを起き上がり、台所に閉まってある猫のおもちゃ群の中から、
彼らが特に興味を示す釣り竿型の猫のおもちゃを取り出し、
さも生きているかのように操ることで彼らの減量に励むことにした。
良い感じに運動をさせている、と思った矢先、
退助がおもちゃに食らい付き、力の限り引っ張った。
そこまではいつも通りである。
この後、退助からおもちゃを引っぺがし、今日はおしまいと片付ける流れになるのだが、
今日の退助は一味違った。
釣り竿からおもちゃを引きちぎった退助は、布製の先端部分を咥え込み、
あろうことか、そのまま飲み込んでしまったのだ。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
退助も早助も、今まで細かいものを飲み込むことは無かったので、
吾輩も油断していた部分がある。
なぜもっと早く引きはがさなかったのか、
なぜ今の時間に遊ぼうと思ったのか、
色々と反省したが、今は目の前で起こってしまった事実と向き合わなければならない。
おもちゃの先端部分を飲み込んだ退助は、ケロリとしているが、
一向に吐き出す気配が無かった。
吾輩はすぐさま『猫 誤飲』で検索を掛ける。
すると、猫の誤飲は放っておくととても良くないので、とにかくスピード勝負だとの記述があった。
急いで近くにある救急動物センターへと電話し、
猫がおもちゃの先端部分を飲み込んでしまった旨を伝えると、
猫のためにも出来るだけ早めに見た方が良い、とのことだった。
吾輩は大急ぎで退助を猫用リュックに詰め、駅前でタクシーを拾う。
タクシーの運転手に行き先を告げると、場所の名前的に急用だと察してくれたのか、
車の速度も心なしか速かった。
救急センターに付くと、すぐに診察をしてくれた。
まずレントゲンを撮り、胃の状態を見てみると、
確かにおもちゃと思しき小さな物体があるようだった。
軽く麻酔をすると猫が吐き出す可能性があるようだが、
胃の中がからっぽなので、ちゃんと吐いてくれるとは限らないらしい。
そうなると、また別の手段を取る必要があると獣医さんは言った。
吾輩は了承し、退助に麻酔を打ってもらう。
しかし、退助は吐かなかったようだ。
減量などと言わず餌を食べさせておけば良かった、と再び後悔が襲ってくる。
そうなると、残された手段としては、
内視鏡なるもので直接胃の中から取り出す手段しかないらしい。
一も二もなく、お願いしますと頼んだ。
退助は獣医さんの腕の中で、麻酔を打たれてぐったりとしている。
あんなに小さな体に麻酔を打って大丈夫なものかと気が気でなかった。
やがて処置がはじまり、しばらくすると、吾輩の名を呼ばれた。
言われるがまま、すぐ隣の処置室へ向かうと、
手術台の上で、退助は目を見開いたまま、ピクリとも動いていなかった。
だらんと垂れた舌の奥、口の中に長い管を入れられている。
どうやら、猫は麻酔をされるとこのような状態になるらしい。
予備知識が無かった吾輩は、何か良くないことが起こったのかと、
最悪の結末まで想像してしまっていた。
内視鏡で覗かれた退助の胃の中の様子が、小さな画面に映されている。
そこには、退助が飲み込んだ布状のおもちゃが、たしかにそこにあった。
獣医さんは器用に管を動かし、その先に付けられたアームで布状のおもちゃを掴むと、
実に見事に異物を取り出してくれた。
さっきとは反対に、胃が空っぽだったからとても楽だったらしい。
吾輩はもう、何だか良く分からなくなってしまった。
退助は相変わらずぐったりしているので、心の底から安心することは出来ないのだが、
獣医さんたちが落ち着いているので、とりあえずは吾輩も安心した顔をしてみせる。
麻酔が切れるまで1時間ほど掛かるがどうするか、と問われたが、
その場で待たせてもらうことにした。
そこから1時間。
徐々に麻酔が切れつつある退助の様子を眺めたり、
救急動物センターにいる他の猫たちを眺めたり、
女性の獣医さんがそんな猫たちをあやす様を眺めたりした。
そして、もう間もなく引き取れるという時に、
1組の家族が建物に駆け込んできた。
旦那さんと奥さん、それと小さな子供が2人。
奥さんの腕の中に、ぐったりと動かない子犬が1匹。
奥さんの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「呼吸が止まってからどれくらいですか?」
「30分くらいです」
「10分ほど試してみますが、それでも様子が変わらなかったら、その時は諦めてください」
そんなやり取りが、吾輩のすぐ隣で行われている。
「諦めてください」という言葉が、酷く重たい。仕方が無いが重たい。
吾輩は受付ロビーの椅子に座り、彼らの邪魔にならぬよう、なるべく小さくなっていた。
やがて、先ほど退助が寝かされていた手術台で処置が始まる。
「頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ」
そう言いながら、家族の名前を連呼する奥さんの声が室内に響き渡る。
「頑張って、頑張って、頑張れ、頑張って、頑張れ、頑張って」
何百回繰り返したか分からない。
幾度も幾度も家族の名を呼び続けている。
いずれ。
吾輩も、それが何年後になるか分からないが、
出来れば何十年後かであって欲しいが、
退助や早助を連れてくることがあるのかも知れない。
全く関係が無いとは分かりつつも、吾輩も心の中で祈った。
もし助かったら、いずれ来るその日に、退助や早助も助かるかもしれないと思った。
しかし、あっという間だった。
あっという間に時間は経ってしまい、
一匹の子犬は帰ってこなかった。
ひょっとすると。
この10分という時間は、残された家族のための時間なのかも知れない。
もう初めから、帰らぬものと分かっていたのかも知れない。
そんなことを思ってしまう自分に少し嫌気がさしつつも、
吾輩は、やはり関係が無いのに、涙がたまっていた。
やがて、書類に何かを記入するため、その家族が吾輩の近くに座る。
何の関係もない吾輩が泣いていたらさぞや困るだろうと思い、
吾輩はそっぽを向いた。
そして、彼らに最大限の気を遣うように、退助が運ばれてくる。
退助はだいぶぐったりとしていたが、しっかり目が覚めていた。
細かく震えているのは麻酔のせいだそうだが、確かに生きている証だった。
うなだれている家族を後目に、吾輩と退助は、早助の待つ家に戻る。
いつのまにか陽は昇っていて、吾輩は獣医さんに感謝し、そして大いに反省する。
家に着くなり、退助はよたよたと室内を歩き、
病院の匂いがするのだろうか、早助に威嚇されていた。
可哀そうだが、笑ってしまった。
吾輩と、猫である⑧
猫2匹の腎臓が、どうも良くないらしい。
彼らが吾輩の家にやってきて、もう7カ月が経とうとしている。
生後10カ月といったところだ。
吾輩の家に来たからには、とにかく良いものを食べて貰おうと思い、
世間的に『とてもよい餌』と言われるものをあげていた。
方や吾輩と言えば、食事はスーパーやコンビニで買ったお弁当だったりするので、
時折「どちらが良い物を食べていると言えるのだろうか…」と考えてしまうこともあるが、
まあ、気にしても仕方がない。
そして、それが良かったのか悪かったのか、2匹ともいつの間にかとても大きくなった。
今年の4月に私用で1週間ほどロシアへ赴くことになり、
その間、ありがたいことに保護主さんに預かってもらうことになったのだが、
迎えに来た保護主さんも「これはでかい」と息を飲んでいたほどだ。
ちなみにロシアから帰ってきて、2匹が久しぶりに吾輩の家へと返ってきた時、
2匹とも、この家はもちろん、吾輩のことすらも忘れてしまっていた。
ちょっとだけ傷付いてしまったが、そんなものなのだろう。
家の隅っこに隠れるようにジッとしている彼らを見て
「また最初からやり直しなのか……」と気を揉んだものだが、
1時間ほどで思い出してくれたようだから良しとする。
そして、5月に入り、いよいよ彼らは去勢手術をすることになる。
去勢手術を行う前に事前検査が必要になるらしいので、吾輩は2匹を連れて動物病院へ行かなければならなかった。
2匹ともかなり大きいので、まず1つのケージには入りきらないだろう。
しかし、病院は徒歩10分圏内にあるとはいえ、ケージを2つ担いで運ぶのはかなり難儀である。
彼らは今およそ4キロ半ほどの体重があるので、
ケージの重さも含めると、2リットルのペットボトル3本分ほどであろうか。
3本のペットボトルが詰まった袋にをそれぞれ両手に抱えて歩くのは、それこそ軽度の地獄である。
そして、その袋の取っ手を分け合える存在もいない。
そんな存在が居れば、「片方だけ持ってね。もう一個の袋はオレが持つから……」などと、
本当はビニールの取っ手が食い込んで指が千切れそうだけれど、どうにか強がりを言って我慢することが出来るのだが、
吾輩は独りである。
ただただ独りなのだ。
どうしたものか、と頭を悩ませ、色々な人に相談したところ、
猫を入れられるリュックがあるとのことだった。なんと便利であろう、とすぐに購入する。
そうして届いたリュックに退助を詰めて背負い、早助の入ったケージを抱えながら、
よたよたと病院へ向かった。
その姿はまるで、二宮金次郎のようだ。
しかも、前後に重量を分散させたとは言え、なかなかに過酷な行程であった。
動物病院では、血液検査とレントゲンを撮って貰った。
猫の首周りにシャンプーハットのようなものを巻いてもらい、
猫には何が行われているか分からないような状態で、
足に注射器を刺し、血液を抜く。
その時にも獣医さんが「これはでかい」と言っていたから、やはり彼らはでかいのだろう。
餌の時間はなるべく守っていたつもりだったのだけれど、吾輩は申し訳なくなってしまった。
しかし「骨もしっかりしている。筋肉も良い」と褒めてくれてもいたので、
そこまで悪いというわけでは無いのかもしれない。
ただ、去勢前は「大きい」で済むのだが、去勢後は「肥満」と表現が変わるらしい。
吾輩も最近お腹がポッコリしがちであるが、
吾輩もまだ去勢はしていないので、呼び方は「大きい」で済むということか。
そうでないのならば、「肥満」と呼ばれるのはどこのラインからなのかを教えて欲しいものだ。
レントゲンは別室に連れていかれたので、何が行われていたかは分からないが、
時折退助の悲鳴が聞こえてきたので、猫にとってはさぞ嫌な思いをしたことだろう。
そうして全ての診察が終わって、獣医さんから診断結果を聞いた。
2匹とも、腎臓にちょっと問題があるかもしれない、とのことだった。
血液検査の結果、エイズは陰性であるが、腎臓にやや問題がある兆候がみられるとのことだ。
レントゲンを見ても、片方の腎臓がちょっと小さいらしい。
吾輩は、どうしたら良いのか分からなかった。
これは吾輩のせいなのだろうか。
吾輩の育て方が間違っていたのかも知れない。
もっと注意を払うべきだったのだ――。
一瞬で色々なことを考えてしまったが、獣医さんが言うには、
猫はもともと腎臓に難がある生き物らしい。
老猫になればなるほど、その兆候は散見されるようになるようだが、
先天的にそういう傾向にある猫もいるとのことで、
彼らは2匹とも兄弟であるから、
産まれながらにして腎臓に問題を抱えていたのかも知れないね、とのことである。
吾輩の責任ではないのか……、とちょっと安心してしまったことに、吾輩は酷く落ち込んだ。
しかし、今は自分のことなどどうでも良いのだ。
獣医さんは腎臓の問題についてあれこれと話してくれた。
猫は血液の多くを腎臓に送っているのだが、去勢手術をするにあたって麻酔を使うことになる。
そうすると腎臓に血液を送れなくなり、病状がより悪化する可能性があるということ。
しかし去勢手術をしないと、それはそれで別の問題が出てくる。
例えばマーキングが始まってしまうと、猫と暮らしていくのも困難になるだろうとのこと。
そして、手術をするかどうかの判断は、吾輩に委ねられているのだ。
どうするべきなのか、吾輩には答えが出せなかった。
猫を譲り受けるに際して、去勢手術を行うという約束を交わしているし、
吾輩はそこに意見をするつもりは一切ない。
生命、そして自然というものに対し、色々と考えをお持ちの方もいるだろうが、
個人的に色々と調べてみたところ、お互いにとってメリットがあると感じたのは事実である。
しかし、寿命を縮める可能性があると分かると、話が変わってくる。
猫の寿命を進んで縮めることが正解なわけはない。
かといって、猫との暮らしが困難になってしまうと、結果として皆が不幸になってしまう。
どちらを選んでも正解ではないという決断ほど、恐ろしいものはない。
吾輩が頭を抱えていたら、獣医さんが「SDMAという検査方法がある」と教えてくれた。
それにより、猫の腎臓の状態がより詳しく分かるらしいのだ。
ただ、この病院では出来ないらしく、また、費用も少し掛かるとのことだった。
吾輩はすぐに「お願いします」と検査を頼んだ。
費用などは些末な問題である。
とにかく、彼ら2匹がどういう状態にあるのかを知らなければならない。
「〜かも知れない」という曖昧な状態は、吾輩にも彼らにも良くないと思ったのである。
検査の結果は翌日には出るようだ。
それから、獣医さんと話をして、どうするか決めようということになった。
2匹を抱えて連れ帰り、不機嫌な彼らにおやつを与えてなだめながら、
吾輩は色々と考えた。
そうして出た結論は、
「何故、よりにもよって彼らの腎臓に問題があるのか」などということは考えるだけ無駄だ、
ということだ。
腎臓に問題があろうがなかろうが、彼らが今、吾輩の家に居ることは紛れも無い事実であり、
これから彼らと暮らしていくのもまた、変わることの無い事実である。
吾輩だって喘息持ちであるし、微弱な猫アレルギーであるし、
最近は何故だか二の腕が痛いし、若干骨盤がゆがんでいる。
家ではゲームばかりしているし、時折独り言のようなものを画面に向かって呟いているし、
独り身である。
つまりお互い様なのだ。
吾輩も具合が悪い所があるし、彼らにも具合が悪い所がある。
五分なのだ。
ややもすると、吾輩の方が問題点を抱えているまである。
彼らに「これは難儀な飼い主のところに来てしまったぞ」と
夜な夜な囁かれていても文句は言えないのだ。
そして、彼らがどういう状態にあるにせよ、
吾輩が彼らにしてやれることの本質は変わらないのである。
とにかく、野良猫であった時よりも良い生活をさせてやることこそ、大義なのだ。
翌日、ほどよい時間になり、動物病院へ電話をした。
結果は「もちろん腎臓に不安はある。けれど、手術するぶんには問題が無い」とのことだった。
吾輩は今度こそ、正直にホッと胸を撫で下ろした。
考えなければならない問題、出さなければならない答えを出す必要が無くなったのだ。
もし、手術すらままならぬという状態であったならば、吾輩はどうしていたのだろうか。
やはり上手く答えがまとまらない。考える必要が無くなった今はなお、答えを出せる気がしない。
情けない話である。
去勢手術が終わったら、餌を変えなければと思ってはいたのだが、
腎臓に難がある場合は、さらに別の餌を与えた方が良い場合もあるという。
手術の日に、検査結果の詳しい話をしてくれるそうなので、
そこで獣医さんと相談してみようと思う。
ただ、去勢手術をするということは、つまり彼らの玉袋を摘出するということになる。
吾輩は彼らの玉袋を弄ぶことを至高の楽しみとしている部分もあるので、
(そのたびに彼らは嫌そうな顔をするが)
それが行えなくなることは、ただただ残念でならない。
吾輩と猫は色々と問題があようだが、ともあれ、どうにか生き抜いていくのである。
吾輩と、猫である⑦
年が明けた。
年末は何かと小忙しく、猫の動画を編集する時間が取れなかった。
そんな最中も、猫はあれよあれよという間に大きくなっていく。
気が付けば、体重も3キロに迫り、
「月齢的に、平均体重より大きいけれどこれは大丈夫なのかしらん……」
と心配になるほどだった。
甘やかしているつもりは全く無いのだが……一体どうしたことだろうか。
保護主さんや獣医さんに尋ねてみたところ、
『確かに大きいけれど、問題無かろう。但し、去勢してからは体重にも気を遣った方が良い』
とのことだった。
どうやら、去勢後の猫は太りやすいらしいのだ。
吾輩も最近は太り気味で、どうしたものかと頭とお腹を抱えているのであるが、
ひょっとすると、吾輩は人知れず去勢されているのかもしれない。
でなければ、このお腹のふくらみや、あるいは未だ独り身であることの説明がつかない。
『お前は最近丸くなった』と方々で耳にするが、
何重もの意味があり過ぎて、やはり頭とお腹を抱えるはめになる。
閑話休題。
現状の問題は、動画に収められた2匹と現在の2匹で、
だいぶ差がうまれていることである。
(これは色んな人に怒られる。この歳で怒られるのは嫌だ……)
吾輩は悩んだ。
あれこれ考えた結果、いっそのこと辞めちゃう、というのが吾輩の常套手段なのであるが、
そんな話をどこかでポロっとしたところ、
「それはもう気にしなくて良い」とのお言葉を頂戴した。
ありがたい話である。
(なんだ、そんなに気にしなくて良いのか!)
実は吾輩こそが甘やかされているという事実は一旦棚に置き、
吾輩は我が子の成長記録を撮り続けることにしたのである。
そんな感じの吾輩と猫たちであるが、
本年もよろしくお願いするのである。
吾輩と、猫である⑥
猫が吾輩の家にやって来てから、2週間が経ったある日、
2匹を病院へ連れていくことになった。
ワクチン接種である。
1回目はすでに保護主さん宅で済ませていたので、
次が2回目ということになる。
前日に動物病院へ電話したところ、
予約などは必要なく、来たらすぐに投与出来るとのことだった。
人間に比べると、案外簡単なものらしい。
早速とばかりにキャリーケースに入れて、動物病院へ向かった。
道中、チラと籠を見てみると、2匹は寄り添うように小さくなっていた。
外が怖いのだろうか。
彼らは昔(といっても3カ月ほどしかたっていないが)、一か月ほど、
どこかのショッピングセンターの駐車場にいたらしいが、
保護されてからはずっと室内暮らしだったのである。
外界にはあまり慣れていないのであろう。
今日はたまたまワクチン接種で外に出たわけであるが、
それが済んだらまた、室内暮らしである。
家の中は、外界よりは安全だ。
確かに室内には吾輩という危険人物はいるが、
車やトラックよりは柔らかいので、多少は当たっても大丈夫である。
むしろ吾輩の方が壊れやすい部分がある。心とか。
彼らを外に出すつもりは無い。
しかし、それが彼らにとっての幸せに繋がるのだろうかと、
ほんのちょっとだけ考えてしまった。
考えても詮無いことだとは分かっているが、
そんなことを思いながら、動物病院へとたどり着いた。
病院ではカルテを作ることになる。
そこで、猫の名前を告げる必要があった。
吾輩は、猫が来てから一週間ほど経って、
ようやくキジ白とキジトラに名前を付けた。
例えばゲームなどで、主人公だの、子供だの、友人だのに名前を付ける瞬間が訪れるのことがあるが、
その時は、案外簡単に付けることが出来る。
しかし、いざ現実、猫の名前を付けるとなると、
『本当にこれでいいですか?』という言葉が浮かび、
なかなか決定することが出来なかったのだ。
どうやら、猫の名前は早めに付けて、名を呼ぶようにしてやった方が良いらしい。
猫は自分の名を覚えるらしいのだ。
だから、早くから呼んでやれば、それだけ覚える時間も早くなるということだろう。
悩んだ末、
キジ白には早助(そうすけ)、
キジトラはに退助(たいすけ)と名を付けた。
早助はその名の通り、順応性が早いから早助である。
退助もまた名の通り、すぐ逃げるから退助である。
2匹合わせて早退だ。
我ながら、すぐに家に帰りたくなる、良き名だと思った。
それ以来、時折名を呼んでみるのだが、一向に無視されている。
果たして本当に覚えるのだろうか。はなはだ疑問である。
名をつけたから、というわけではないだろうが、
2匹はほぼ毎日、ケージのハンモックで眠るようになった。
来てからしばらくは、ケージ内に慣れて貰うために中で過ごして貰っていたのだが、
それが功を奏したということなのだろう。
初日などは、退助はずっとトイレの中にいたものだし、
それを見かねてか早助も中に入り、2匹してトイレの中で寝ていたものだ。
確かに、トイレは落ち着くところである。
幸いにして、吾輩は学生時代にトイレの中でご飯を食べたり、
あるいは休み時間を過ごしたことは無いのだが、
大人になってから、例えば何かの飲み会とか、居たたまれない空間に置かれたときには、
結構トイレに逃げ込むことが多いので、その気持ちはよく分かった。
人間も猫も、その辺の同じ感覚だと言うことだろう。
今では2匹とも我が物顔で家の中を駆け回っている。
2匹が寝ている時などは、物音を立てないように吾輩はそっと動いている。
どちらが家主なのか分かったものではない。
家賃を払っているぶん、吾輩が偉いはずなのだが、
どうにも分からなくなってきた。
それはさておき、動物病院である。
とりたてて大きな事件も無く、ワクチン接種はあっという間に終わった。
獣医がものすごいスピードで注射をしたので、
恐らく猫たちは注射されたことにすら気付いていないのではないだろうか。
処置室での注射に当たって、キャリーケースの中から2匹を出す際、
吾輩は2匹の逃亡を懸念していたのであるが、
2匹は逃げ出すどころか、吾輩の身体から首元へと駆け上がり、
そこで小さく縮こまっていた。
これがどのような感情によるものなのか、吾輩には分からない。
人間的な感覚で言えば、猫は吾輩を頼って、吾輩にしがみついた、ということになる。
そうであれば、吾輩としてはとても感動する事態なのであるが、
本当のところは猫にしか分からないことだ。
しかし、処置が終わり、カルテを手にしたとき、
そこに並べられた吾輩と猫の名を見て、
吾輩は彼らの親となったのだと自覚したのは事実である。
いささか遅いのかもしれないが、吾輩はそこで初めて、
彼らの親となった気がした。
『猫を飼うと婚期が遅れる』
なるほど、言いえて妙である。
吾輩は嫁を貰わずして、すでに子がいるのだ。
正確に言うのならば『婚期が遅れている』ではなく『婚期を飛び越えた』ことになる。
『婚姻』という過程をスキップしたわけだ。
現時点で、結婚はしているが子供はまだ居ないという同級生がいる。
方や、結婚はしていないし相手も居ないが、子供はいる吾輩がいる。
彼らと吾輩とを比べた時、
これはもう、ほぼ同じステージにいると言っても過言では無かろう。
年賀状とか、ここしばらく書いてはいないが、
吾輩と猫2匹の写真でも撮って送ってやろうか、などと考える自分が居た。
ともあれ、吾輩は2匹の子一緒に、これから十数年間を暮らしていくのだろう。
まだ色々と分からないことだらけであるが、
人間の父も、学びながら成長していくとの噂を耳にしたことがある。
世の男性がそうであるように、吾輩もまた、そうすれば良いのだ。
吾輩は、父なのである。
吾輩と、猫である⑤
猫が来た。
保護主さんと一緒に現れたキジ白とキジトラ、2匹の猫である。
不慣れな室内であるにも関わらず、保護主さんがいるからか、
室内をてくてくと歩き回っている。
特にキジ白は前評判通り好奇心旺盛で、
パソコンデスクに上がったり、様々な場所の匂いを嗅いでは、
何かに納得したようにして、別の場所へ向かい出す。
キジトラの方はやはり怯えているようで、
歩くこともあるが、すぐに保護主さんの元へ駈け込んだり、
あるいはタオルにくるまって小さくなっていた。
知らない場所、知らない部屋。
そして知らない男と、知らない尽くしだ。
猫どころか、小中学校の同級生でさえ『この人は……知らないです』と答えるであろう吾輩である。
彼ら同級生たちは、それぞれ妻子を持ち、順調に家系を存続させ、DNAの螺旋を次世代へと繋いでいる中で、
意気揚々と猫2匹を迎え入れようとしている吾輩である。
種の保存の法則を完全無視である。
ともすれば、政府が打ち立てた政策の対象となりうる吾輩である。
それはそれは、不安であろう。
これから、そんな吾輩と暮らしていくことになるのだ。
猫たちも『こいつは大丈夫なのか?』と思っていることだろう。
『こいつ、友人も殆どおらず、伴侶も無く、本当にこの先大丈夫なのか……?』と。
それに関しては、吾輩も大いに不安視しているところである。
しかし、保護主さんがいる手前、
「めっちゃ不安です。特に将来のこととか考えると吐きそうですップ」
なんて言えるはずもなく(なんなら吐いているし)、
吾輩はただただ、彼らの行動を見守っていた。
しかし、光明もある。
吾輩の部屋に一通り並べられた猫グッズの多さに、保護主さんは少し驚いていた。
これだけ揃っていればとりあえずは安心であろうとのことだった。
そこだけは、吾輩が自慢できるところだ。
吾輩、完ぺきをもって良しとするところがある。
クローゼットの中にある多量の土嚢と過剰な猫トイレについては、
勿論触れなかった。
その辺も完ぺきである。
保護主さんは、しばらく家で過ごしてもらった後、猫を置いて帰宅することとなる。
何かあったらすぐに連絡出来るよう、連絡先を交換した。
別れ際。
保護主さんは2匹を撫でた。
キジトラは静かに撫でられ、キジ白はデスクの上で眠っていた。
「お前は最後まで寝てるんだな」
キジ白の頭を撫でながら、保護主さんは苦笑いを浮かべた。
――お見合いの時、保護主さん宅にお邪魔した際に、こういう質問が出た。
「里親に引き渡すとき、悲しくならないんですか?」
その質問に、保護主さんは答えた。
「それは悲しい。けど、悲しんでたら里親の人に悪いから」
何となくぞんざいに、猫の頭を撫でる保護主さんの姿を見て、
吾輩はその言葉を思い出した。
里親とは、吾輩である。
吾輩はこれから里親になるのだ。
保護主さんがやっていたことを、吾輩がやらねばならぬ。
吾輩が、この猫たちの親となるのだ。
その覚悟が、果たして吾輩にあっただろうか。
このまま連れて帰って貰って、保護主さんの家で暮らした方が、幸せだったのではなかろうか。
ほんの一瞬、そんな想いが頭を過ぎった。
勿論、口に出せるはずもなかった。
外に出て保護主さんを見送った後、
吾輩は1人、家へと戻った。
部屋の中は静まり返っていた。
ドアの音が妙に反響した。
どこかで猫が動く音がする。
見れば、キジトラは洞穴のようなトイレの中でじっと縮こまっていた。
キジ白も、先ほどまでの元気な素振りはどこへやら、
吾輩から距離を取るようにして、静かにゆっくりと動いている。
吾輩もまた、椅子に座り、息を殺した。
彼らは吾輩に怖がっているのだ。
吾輩と、吾輩の家に怯えているのである。
それが感じ取れた。
あるいは、吾輩の緊張が伝播していたのかも知れぬ。
布ズレの音がひどく大きく聞こえた。
何をするにも、彼らを怯えさせる元凶になる気がして、
吾輩は何もできなかった。
『猫2匹と暮らしたら、これは騒がしくなるな!』
ほんの少し前まで、そんな呑気なことを思っていたわけであるが、
どういうわけか、吾輩の家は今、1人で暮らしていた時よりも静かである。
猫は動かない。
吾輩も動けない。
家の中はこんなにも猫たちの物で溢れかえっているというのに、
どれもこれもが孤独であった。
吾輩の家に、吾輩の希望通り、住人が増えようとしているわけではあるが、
おとぎ話よろしく、すぐに『幸せになりましたとさ』とはいかないようである。
吾輩と猫との物語は、むしろここから始まるのである。
どうか、めでたい結末を望むばかりだ。
吾輩と、猫である④
猫を迎えるためにすべきこと。
それが何なのか、具体的にはさっぱり分からなかった。
とにかく猫用のグッズが必要である。
吾輩の家には、吾輩用の物しかないのだ。
吾輩はの部屋は、何もかも1人用である。
誰を招き入れることも無かったから、必要最低限の物しか無いのだ。
2本並んだ歯ブラシはどちらも吾輩のものだ。
タンブラーも2つあるが、これはセット商品である。
ベッドも1つだが、一応、何かしらを想定してセミダブルにしている。
このぐらい広いと、隙間が沢山あるから、いくら寝返りを打っても落ちないので満足である。
この部屋に2匹の猫が来ることになる。
幸いにも、吾輩の家には至る所に物を置く場所があるので、
猫用のグッズは置き放題である。
吾輩は猫用のグッズを飼い始めることにした。
しかしながら、吾輩自身が必要最低限の物で生活しているわけであるから、
猫もまた、とりあえずは必要最低限で充分であろう。
まず何よりも必要なのは、猫用のトイレである。
これは猫の数プラス1つは用意しておいたほうが良いらしい。
猫は綺麗好きであるので、トイレが汚れていた場合ストレスを感じてしまうようだ。
猫のトイレは色々と種類があった。
あれも良さそうだ、これも良さそうだと調べ、3つ購入する。
そのほか、ケージ、食器、給水器、爪とぎ、キャリーケースなど、
必要なものは結構あるようだ。
必要なのであるならば、揃えなければならない。
吾輩はそれら全てをインターネットで購入した。便利な世の中である。
それと、猫は高いところが好きなようであり、
また、運動不足解消のためにも用意した方が良さそうである。
しかしながら、まだ子猫である。
背の高いキャットタワーでは怪我をする恐れがあるとのことだ。
であるならば、それなりの低さのものが良いだろう。
吾輩はインターネットで購入した。
猫が遊べるグッズは色々ある。
小さな人形があると、猫が噛んだり蹴ったりして、ストレス解消に繋がるらしい。
吾輩はインターネットで購入した。
猫じゃらし、というものがある。
古くからある伝統的な道具だが、最近は色々と進化しているようだ。
狩猟本能を呼び覚まし、運動不足を解消出来るとのことである。
吾輩はインターネットで購入した。
猫用のベッド。
穴倉状になっており、何かあったときに逃げ込める場所にもなるようだ。
吾輩はインターネットで購入した。
猫用の爪切り、猫用のブラシ。
ツイッターで募集した意見を参考に、評価の高いものをインターネットで購入した。
現在使っているゴミ箱は、袋をそのまま使用するタイプのものであるが、
これは猫が悪戯をする恐れがある。
猫が悪戯出来ないものにすべきであろう。
購入した。
吾輩の部屋には、猫の額ほどのウォークインクローゼットがある。
ここに猫を立ち入らせるわけにはいかない。
吾輩の洋服が毛まみれになってしまう。衝立が必要だから購入した。
吾輩は微弱ながら猫アレルギーである。
空気清浄機があれば、快適な環境を作ることが出来るから購入した。
デスクの下に良い感じの隙間がある。
そこに置くふかふかのベッドがあれば絶対使ってくれるだろうから購入した。
ベッドタイプの爪とぎが良い感じだったから買った。
猫が良く水を飲む陶器の水飲みがあるとツイッターで教えて貰ったので買った。
食器を置くマットがあると良い感じだ。
部屋の角に置けるタイプの爪とぎがあれば、壁で爪を研がないだろうか?
猫用のヒーターがある?
とりあえず買う。
さて、色々と買ったわけであるが、
これで必要最低限の物は買い揃えることが出来ただろう。
吾輩は妙に満足していた。
準備は万端であり、非の打ちどころが全く無い。
今にして思うことだが、さあ見ろ、吾輩は不可ではないのだぞ、と世に知らしめたかったのかもしれない。
やがて、ぞくぞくとそれらの商品が届き始める。
それはもの凄い量だった。
引っ越しでもしてきたかのように、大量の荷物が運ばれてくる。
吾輩がこの家に引っ越した時よりも荷物の量が多い気がした。
毎日毎日、違った商品が届くのだ。
今日届き、明日も届く。
なんなら届いた商品を開封している最中に届く。
まるでここは、賽の河原である。
奇しくも吾輩の筆名が賽助であるが、なかなか笑えない状況だ。
玄関は開封した段ボールで一杯になり、
未開の地、アマゾンを開拓するが如く、それらを振り払わねば通れなくなった。
奇しくもamazonで頼んでいるのだが、これは笑えないので無視して大丈夫だ。
それら全てを開封し、部屋に設置していく。
吾輩が生活していたスペースがどんどん猫用品に浸食されていく。
この感じで行くと、吾輩の生活圏が今までの半分くらいになってしまいそうな計算だ。
……まあ、こちらは1人。向こうは2匹である。
多数決ならば負けている。
しかし、こちらが家賃を払っているわけだから、
もし裁判になったときに、半分は吾輩の場所であるという主張は通るであろう。
気になるのは、猫のトイレが4つあることだ。
何故4つあるのか、吾輩にはちょっと理解出来なかった。
まず3つのトイレが届いた。
そのうち2つ、同タイプのものを部屋の隅に設置し、別タイプのトイレはケージの中に置いた。
そこまでは良かったのだが、
更に1つ、吾輩の家にトイレが届いたのである。
吾輩は頭を抱えた。
1つの家にトイレが4つだなんて、ちょっと寂れたサービスエリアより多いではないか。
その分並ばなくて済むから、人間の女性ならば大喜びであろうが、
生憎来るのは猫のオスばかりだ。
最低限の物しか揃えていない筈であるのに、
一体何故こんなことになってしまうのだろうか……。
吾輩は首を傾げた。
どんなトイレが良いか、保護主さんにあれこれ聞いたことは覚えている。
その時に「このトイレ良さそうなのですが」と尋ねたものが、追加で届いたことになる。
吾輩ひょっとして、良いかもと思ったものを脊髄反射で買ってしまうタイプなのであろうか。
少し不安になった。
これではまるで、初孫を喜ぶ親の如しだ。
はしゃいで色々と買いすぎて、結果子供らを困らせる感じのやつではないか。
いや、吾輩は決してそんな感じではない。
そもそも子供はいないし、両親の孫は浦和レッズの選手である。
猫のトイレは、あればあるだけ良いのだ。
そんな感じのことがどこかに書いてあったはずだし、無かったら吾輩が記事にする。
しかしとりあえず、この4つめのトイレは、
保護主さんが来るときには、クローゼットの中に隠しておくことにした。
決して、ちょっと恥ずかしかったからではないことをここに明記しておく。
それともう1つ困ったことがある。
猫用トイレに巻いておく『猫砂』と呼ばれるものがあるのだが、
吾輩はこれを木製のペレットにした。
(岐阜から届くとなると、これはなかなか入手が困難ではないだろうか?)
そう考えた吾輩は、これを2袋ばかり頼んだのであるが、
1袋が10キログラムあり、それが2つ届いたわけである。
保管場所に困った吾輩は、とりあえず玄関に2袋を並べて置いてみたが、
まるで川の氾濫を堰き止める土嚢である。
堰き止められるのは勿論吾輩だ。
幸い、吾輩は自炊をしない主義であるからして、
1袋は米を保管する場所にしまえる。
もう1袋はクローゼットの中に置くことにした。
クローゼットはますますウォークイン出来なくなったが、
そもそも衝立を置いたおかげでその機能は失われているのだから問題無かった。
全ての段ボールを開封し、商品を設置。
多量の段ボールをゴミに出し、
保護主さんがくつろげる用の椅子を購入し、
スリッパを2足追加で注文。
全ての準備は整った。
不足している物は、もはや無い。
あれば買えば良いだけのことだ。
ここに猫が来るのかと思うと、吾輩は急にソワソワとしてきた。
まだ誰もいない空っぽのケージなどを眺めては、
一体どんな感じになるのだろうと想像する。
ちゃんと使ってくれれば良いのだが……。
ともあれ、あとは猫の到来を待つだけである。
吾輩と、猫である③
『お見合い』
お見合いとは、結婚を希望する年頃の男女が、
両親や世話好きの親戚のオバチャンの仲介によって、
鹿威しの鳴り響く旅館だか料亭的なところで初対面し、
「あとは若い人同士で……ホホホ」という台詞を合図に、
「ちょっと歩きましょうか」などと言いつつ庭園を散歩、
お互いのことを話し合い、その気になったは良いものの、
実は女性側には忘れられない好きな人が居て、
「とても優しい人なんだけど……本当にごめんなさい」
という言葉と共に男性側が振られるという日本の習慣である。
そんなお見合いが、猫の里親になるときにも行われるというのである。
人同士と違って、結婚を前提にするわけでは無いが、
家族になる、という点では同じことである。
今までは写真でしか知らなかった猫とそこで初めて出会い、
互いの相性を見極める貴重な場――ということだ。
そして、猫ともそうだが、保護主さんとも初めて会うことになるわけである。
ここで印象を悪くしようものなら、
「この話は無かったことに……」となるのは必然である。
考えれば考えるほど、緊張してしまう。
人生初の『お見合い』の文字が深く伸し掛かってくる。
そもそも吾輩はまず人とお見合いをするべきなのかも知れないが、
世話好きの親戚がおらぬ故、残念ながら出来ない。
両親は地元のサッカーチームである浦和レッズに夢中であるため、そもそも吾輩に興味が無い。
(吾輩や兄に子がおらぬため、孫代わりにレッズを応援しているのではないかという説がある)
ともあれ、お見合いである。
吾輩はとりあえず髪を切りに行った。
少しでも好印象を与えようという想いが吾輩の髪を刈り取った。
相手は吾輩のツイッターを見ているわけで、
つまりは『おちんちん!』と全世界に発信している様を知っているわけであるから、
今更髪の毛が少し短くなった程度で何を挽回できるわけでも無いのだが、
刈り取られた髪が、床以外の何かを覆い隠してくれと祈るばかりである。
そして、もう一つの懸念。
吾輩は恐ろしいほどの口下手である。
どうでも良い場面であれば饒舌にもなれるのだが、
ここぞというときに酷く弱い。
まず代打では起用出来ないと思うので、各球団の監督は覚えておいて欲しい。
恐らく、保護主さんとの会話が困難になるであろうと考えた吾輩は、
保険として、学生時代の後輩を連れて行くことにした。
勿論、何ら関係のない人物と言うわけでは無い。
吾輩そこまで非常識な人間ではない。
高校時代、別の高校に通っている元同級生と遊ぶ予定であったのに、
いざ出向いてみれば、その元同級生の高校の友人が複数いて、
どう考えても吾輩の方が邪魔ものであり、
「これは一体……?」と頭を抱えた記憶があるが、
そういうことでは無い。
その後輩とは、猫の面倒を見てくれる予定の男である。
つまり彼もまた関係者であるからして、このお見合いに参加する義務があるのだ。
「猫のお見合いに付いて来い」
吾輩は、今やもうかなり薄まっているであろう先輩権限を行使した。
これは嫌がるであろう。吾輩ならば絶対に嫌だ。
断られてもまあ仕方あるまい、と思っていたのであるが、
彼は随分と乗り気であった。
どうやらかなり猫が好きなようだ。
それに彼は、吾輩が生物的にかなり頼りないことを知っている数少ない人物であるから、
自分がどうにかせねば、という責任感が芽生えているのかもしれない。
それはかなり癪ではあるが、この際、来てくれるなら良しとしよう。
吾輩の考えた策は、保護主さんとの会話の殆どを、そいつに任せようというものである。
そして、それは大成功であった。
そいつは初対面でも陽気な雰囲気で話すことが出来ることだけが得意な男であったから、
ここで成功させなければ、存在する意味すら無くなってしまうので、ある意味当然ではあるのかも知れないが、
そいつが話を振り、保護主さんが答え、吾輩はひらすらに相槌を打った。
まるで吾輩は、会話においての句読点的存在であったことだろう。
有ると無いとでは全く違うのだ。多分そんな感じで必要な存在であったはずだ。
和やかな雰囲気の中、吾輩は4匹の子猫たちと対面した。
どれもこれも小さく、愛らしい存在であった。
この子が良いかな、と前もって決めていたキジ白のオスとキジトラのメスは、
猫じゃらしを振れば我れが我れがと飛び出してくる、それはもう絶大なる可愛さであった。
特にキジ白は恐ろしいほどの人懐っこさで、
猫初心者の吾輩とも遊んでくれたし、良く駆け回っていた。
キジ白、キジトラのメス。
当初の予定通り、この2匹は元気で良いな、決定かな、と思っていたのだが、
――ふと、気になる猫がいた。
それは、4兄弟のうちの1匹。
キジトラのオスである。
3匹がダバダバと走り回っている中、その1匹だけは、
物陰に隠れて全く出てこなかった。
身体も小さく、どこか気弱な目をしていた。
保護主さんがどうにか引っ張り出してはいたが、すぐに物陰に引っ込んでしまう。
「折角のお見合いなのに」
保護主さんは苦笑いを浮かべていた。
「この子はちょっと臆病で心配なんです」
そう言った。
吾輩はその時、あることを悟ったのである。
このお見合いは吾輩にとって、里親になれるかどうかの勝負時であるが、
実は猫たちにとっても、里親となる家に迎えて貰えるかどうかの勝負時なのである、と。
だから保護主さんも、出てこない猫のことを心配していたのである。
吾輩は『自分は里親として不可である』と思っていたから考え付かなかったのだが、
里親としてふさわしい人物、生まれながらにして里親の才能を持った、いわゆる天賦の里親――『天里』からすれば、
基本的に、どの猫にするかを選び放題な立場にいるわけである。
吾輩でさえ選ばせて貰える権利があったわけであるから、
天里からすれば言わずもがなであろう。
そんな中で、自分をアピール出来ない猫がいる。
無論、アピールする場であるというのは、人間が決めたことである。
彼らにはそんなつもりは毛頭ないだろう。
しかし、今ここはそういう場であることになってしまっており、
加えて、その猫は生まれながらにして臆病で、恐らく人との付き合いが苦手なのだ。
この猫は、きっと選ばれない猫である。
誰だって、人懐っこくて元気が良い。
その方が愛されるのだ。世の中とはそういうものである。
吾輩も、幼少時は、それはそれは選ばれなかった。
小学校の時、グループを作る際、
必ずと言っていいほど吾輩は余った。
クラスの人気者たちが、最後の最後で嫌々吾輩を選ぶということが多々あった。
それは仕方がない。
吾輩は背も小さく、運動が出来ず、さらに勉強も出来ず、
かといって性格も決して宜しくは無いという、
義務教育課程においては何の役に立つのか全く分からない存在であったのだ。
そう言えば今思い出したのだが、ネットの世界でもそうであった。
吾輩、学生時代にとあるオンラインゲームに手を出していたことがあるのだが、
そこで、2チームに分かれて対人戦を行う、という催しがあった。
有名と思しきプレイヤーが、どの人物を自陣に加えるか選んでいく。
そこでも吾輩は余った。
課金額が足りなかった。
課金額と、ほんのちょっとコミュニケーション能力が足りなかった。
(大人になっても選ばれないのか……)
と酷く落ち込んだ覚えがある。
この猫と吾輩は似ている――などと、そんなことを感じてしまった。
聞けば、後輩もそんなことを言っている。
後輩のくせにそんなことを言うのは失礼な奴であるが、吾輩は納得してしまった。
猫初心者が、人慣れしていない猫を迎えることが出来るのか?
はっきり言えば、とても不安である。
上手くやっていける自信は到底持てなかった。
しかし、吾輩は彼を選ぶことにした。
吾輩が彼を選ばねばならぬ、という変な義務感が生まれていた。
彼にとっては失礼な話であろう。
子供時代の吾輩が耳にしたら、それはそれで落ち込んでいた筈だ。
もう1匹は最初の予定通り、オスのキジ白にした。
吾輩ともよく遊んでくれたし、聞けば好奇心旺盛で人慣れが早いという。
臆病なキジトラとも見分けが付くし、彼との相性も悪くないらしい。
気が付けば両方ともオスになってしまったが、
そんなことはどうでも良くなっていた。
保護主さんはたいそう喜んでくれた。
そうして、お見合いは終了する。
猫たちはワクチンの接種などがあり、吾輩もまた、猫たちの住処を作るべく用意せねばならない。
しばらくの期間あいた後、今度は彼らが吾輩の家に来る予定となる。
吾輩は猫を飼う。
その準備に入るのである。