ゲッセイ 『誰かの背中越し』

先日、知り合いの歌手であるハービーさんの紹介で

ソラトニワ原宿「GOLDEN STEP〜着席!原宿学園〜」

というラジオのコーナーに出演させていただいた。


そこで、『誰ががプレイしているゲームを見る』という話題がちょっぴりあがったのだけれど、

ゲームをする、ではなく、ゲームをしている姿を見る、
という行為の原体験は何だっただろうと考えると、
真っ先に浮かんできた景色がある。


それは、兄の背中と、緑色をした巨大な悪の帝王だ。


僕には四つ上の兄がいる。

僕も兄も、今でもゲーム好きだが、我が家にファミコンは1台しかないため、
どちらかがゲームをしていたら、当然ながらどちらかはゲームを出来なかった。

そして、ゲームにも、それぞれ所有者がある。
家族、兄弟間で共有こそされているものの、薄らとした優先順位があるのだ。

順位が一番なのは、そのゲームを買った人。
それから、兄弟、父、母と並んでいく。
父も母もゲームをほとんどやらなかったので、基本的には兄弟の間で格差がつくことになる。

我が家は「お小遣い年功序列制度」が採用されていたので、
兄の方が僕よりも金持ちだった。

必然的に、兄のソフトが多い。
右も左も、文字通り兄の息の掛かったソフトばかり。

一大権力者だ。

兄と喧嘩しようものなら、僕の優先順位は母よりも下の最下位となり、
触らせてさえ貰えなかった。


あれは小学校のころ。
家に帰ると兄がドラゴンクエストⅣをプレイしていた。

僕もドラクエⅣはちょこちょこと進めていたけれど、
兄が買ってきたソフトであったから、遊ぶ優先権は兄にあり、だから兄の方が先に進んでいた。

兄のドラクエⅣは最終局面を迎えていて、
多くの仲間とともに、悪の帝王デスピサロに戦いを挑んでいる。

僕のセーブデータにいるライアンやアリーナ、ザラキ厨よりも強い彼らが、兄とともに戦っている。

同じ名前、同じドット、同じカセットにいるキャラクターな筈なのに、
僕には彼らが、全く知らない誰かに見えて仕方が無かった。


兄の背中越しに繰り広げられる、手に汗握る攻防。

馬車の中にいたミネアやマーニャが代わる代わる現れては、
苛烈な一撃をくらい馬車へと引っ込んで行く。


一瞬たりとも目が離せない。


けれど、僕には時間が無かった。


塾へ行かなければならないのだ。

この戦いの結末がどうなるのか見たい。
しかし時間が無い。

僕は塾へ行く準備を終え、リュックを背負い、
あとは靴を履くだけの状態になったまま、とにかく時間いっぱいまで、兄の戦いを見守った。

そして、タイムリミットを少し過ぎたころ、


兄の剣がデスピサロの頭を叩き潰した。


やったぞ、兄は世界を救ったのだ!
兄と知らない仲間達、おめでとう!

と思ったのもつかの間、デスピサロの腹部に顔が浮かび上がり、
手が生え、脚が生え変わり、やがておぞましい頭部が現れてくる。


あの時、部屋中を覆った絶望感たるや。

ライアン、アリーナ、ザラキ厨は既に倒れ、
奥さんが転売屋のオヤジや人型コンジャラーの白ジジイが、
まるで「初めての戦闘です」と言わんばかりの初々しさで必死に戦っている。

途方に暮れる兄と、
そんな兄を置いて家を出なければならない僕。


兄は、兄たちはどうなってしまったのか...。

塾へ向かう間もずっと、兄とトルネコとブライと、
あの凶悪なデスピサロのことを考えていた。


自分でゲームをしていた訳でもなく、あんまり思い入れもない仲間達だったけれど、
心の底から兄の勝利を願っていた。


兄の遊ぶ姿を見る、というのが、恐らく僕の原体験なのだ。

今では兄と僕は違う家に住んでいるから、兄の遊んでいる姿を眺める事は無くなったが、
その代わり、知らない人が毎日どこかでゲームをしている、そんな姿を眺められる世の中になった。


僕はあれからだいぶ大人になったのだけれど、
今でも時々、誰かがゲームをしている姿を眺めている。


小学生の時と変わらず、誰かを応援したり、感心したりしている。


不思議なものだ。