映画『クロニクル』

2012年の2月にアメリカで公開され、
一年と半年送れで日本公開された映画『クロニクル』を観てきました。

なんでも大友克洋の『AKIRA』や『童夢』に触発されたらしく、
こりゃ「海外の監督が僕らの見たいものを作ってくれた」シリーズ、『パシフィック・リム』の再来かもしれぬ!
と大急ぎで映画館へ。


いやぁ、想像力をかきたてられる映画でした。
ストーリー展開的には、AIKIRA+キャリーなんでしょうか。


この映画は、終始、誰かの手持ちカメラ、あるいは定点カメラが現場を撮影していき、
それを観客が観るという手法を用いています。

序盤の展開は『ブレアウィッチ・プロジェクト』的「嫌なことが起こりそう」ホラー感があり、
後半の破壊シーンは『クローバーフィールド』的な「何が起こっているんだ」感。


しかし何より新鮮なのは、その手持ちカメラが

カメラは主人公の少年が超能力によって空中に浮かされているッ!


合理的ッ! 
そして、圧倒的閃きっ……!!


手持ちカメラの場合、撮影者がカメラに映りこむことは殆ど無いんですが、
この方法を取れば俯瞰で撮影されていても何の問題もありません。
おまけに超能力の凄さを見せ付ける役割も兼ねていて、一石二鳥。

いやぁ、アイディアですなぁ。



主人公の少年は、いつでもカメラを持ち歩いて何かを撮影している男で、
劇中「カメラがないと人と向き合えないのか?」みたいなことを言われるシーンが。

(お、これは『桐島部活やめるってよ』における前田くんだな!)

などと、スクリーンを観ながら何となく妄想。

これはもう、どうやったって「前田くんイケイケ! ぶっ殺せ!」みたいな気持ちになります。
特に歯を抜くシーンなんかは、全世界の男子の半分がそうなりますね。

あと、パーティーの席での一件に関しては、
気にするな! するだろうけど気にするな! その女そんなに可愛くないから!
と言う気持ちに、これは確実になるんです。

なるんですけれども。


僕はもうホラー映画とか全く駄目なタイプだから、
「何か起こりそうだ……」というシーンでは、顔を背けつつハラハラとして見ちゃうんですな。

今回もそんな状況がありまして、

ああ、あの変な色に光る突起が突然隆起して黒人が死んじゃう!
ああ、前田くん(勝手に命名。本当はアンドリュー)が力を行使してお父さんがバラバラになっちゃう!

なんて妄想してたんですけれども、
実際にはあんまりそんなことはなく、思ったよりもソフトだったのが、
これは良かったのか、悪かったのか……。

人が吹っ飛ぶ以外の斬新な殺り方が観られなかったのは、ちょっと残念だったなぁー。
そんなシーンを観たくは無いくせに思っちゃうのは、これ何なんでしょう。

全ッ然、もう1%も好みではない女性が前かがみになった時、胸元に目が行ってしまうあの感じ。
そもそも下着になど興味が無いのに、階段の先に行くスカートの中を一瞬窺ってしまうあの感じ。
そして手で隠されたときの、あの敗北感。

ふざけるなと。
ちがうんだと。
俺がしたんじゃない。これは、俺という人間が『雄』であるが為の、反射行動なのだ。
無意識下での行動なのだ。
雄はおっぱいとおしりに対し、瞬時に反応するようにDNAに刻まれているんだ。
何故なら雄は雌を守るものであり、雌の象徴でもあるおっぱいやおしりが、
然るべき箇所にしまわれているかどうか、危険に晒されていないか、
もしそうであるならば、身を挺して守らねばならないと、石器時代の昔から刷り込まれているんだ。
だから僕がおっぱいやおしりに視線が行ってしまっていたとしても、
それは恥ずかしいことではなく、むしろ雄として立派な行動なのだと家族に、そして警察の人に説明してください。


……閑話休題


人が吹っ飛ぶ以外の斬新な殺り方が観られなかったのは残念なところでしたが、
しかし、意識的にせよ無意識的にせよ、その「ふっ飛ばし」の方法しか選択できなかったのではないか、
と考えると、アンドリュー君の深層心理に触れているようで、一層心に染みてしまいます。


やっぱり、ステキな映画ですな。


影響を受け、形にし、それが別の何かに影響を与えていく。
こうやって表現というものは回っていくんだなぁ、と実感します。


クロニクルという単語の意味は年代記、あるいは編年史と言う意味らしいのですが、
登場人物たちの足跡、というだけではなく、異能力SFとしての「中継ぎ」的な意味合いもあるのかなぁ、
などと、考えたり考えなかったり。


鉄雄ォ! に続く アンドリュゥ! となっていくと、良いなぁ。
公開規模が小さく、期間も短かったようですが、まだまだこれから。