『ドルフィン・ソングを救え!』〜ドアをノックするのは誰だ?〜

樋口毅宏著『ドルフィン・ソングを救え!』
1989年にタイムスリップしたフリーターの女性が、
憧れのミュージシャン(モチーフはフリッパーズ・ギター)の解散を阻止すべく奔走する――。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

『ドルフィン・ソングを救え!』を読みながら、
僕は高校生の頃に同じクラスだったTさんのことを思い出していた。


Tさんと僕は隣同士の席だったけれど、交わす言葉といえば、
クラスメイトとしての義務のような挨拶程度で、
特別、話し込むなんてことはなかった。

けれどある日、どういう理由からか、僕と彼女はほんの少しだけ会話をした。
そこで彼女は、これまたどういう会話の流れからか、

オザケンが好きなの」と僕に言った。

僕はその頃、オザケン――小沢健二のことを
「なんかナヨナヨしている女の子みたいな人」という認識しか持ち合わせておらず、
だから彼女の言葉も「ふーん」と上の空で聞いていたと思う。

Tさんはショートカットで、とても物静かで、ちょこっとぽっちゃりとしていた。
正直な所あんまり僕のタイプではなかったけれど
(これはシツレイな話で、当然むこうだってそうだっただろうけど)、

「今日ライブなの!」と興奮気味に言うTさんの笑顔は、とても可愛らしかった。

Tさんをそんなに魅力的な顔にさせる『オザケン』とやらは一体どんな歌を作るのだろう。
オザケンの音楽とは、そんなに良いものなのだろうか。

僕はちょっと興味を持った。

そう告げると、翌日Tさんは教室に入るなり、僕の机に激突するばかりの勢いで、
机の上にCDを置いた。
ジャケットには『球体の奏でる音楽』と書いてあった。

僕はそれから、オザケンの曲を沢山聴くようになる。
中でも『流れ星ビバップ』と『それはちょっと』が好きで、
そう伝えるとTさんは「分かってるね!」という風なことを言い、
僕は「なんでちょっと上から目線なんだこの人」と心の中で思った。

そして急激に僕とTさんは距離感を縮めていく……とは全くならず、
その後、席替えで遠い席に座ることになり、
別にTさんと恋仲になるつもりも無かった僕は
(まったくシツレイな話で、むこうこそそう思っていただろう)、
顔見知り程度のクラスメイトの関係に戻り、そして学年が変わり、
それから顔を合わせることも無くなった。

僕はその後も時々、オザケンの曲を聴いては、
Tさんのことと、幸せそうにオザケンのことを話すTさんの笑顔を、
ちょっとだけ思い出す。

Tさんは今でも、小沢健二が好きなのだろうか。

好きでいて欲しい。

けれど、多分今はそうでも無いのだろう。
かく言う僕も、昔好きだったアイドルだったり、女性だったり、
そのようなものをどこかに押し込めて、
今は全く別のことにうつつを抜かしている。


ただ、音楽は変わらない。
歌詞も音程もリズムもあの頃のままだ。
なんのことはない、
僕らが音楽を置いていっているだけなのだ。

僕とTさんは、恐らく二度と出会うことは無いだろうけれど、
あの頃の僕らは、ちゃんとオザケンの曲の中に居る。


誰もみな手を振ってはしばし別れる。
悲しいことではないのである。


ただ、むこうは全く僕のことなど覚えていないであろうから、
そこは、ちょっぴり悲しい。

体育祭

電車の車窓から、どこかの学校の校庭が見えた。

たくさんの人たちが、校庭に大きな輪を作っている。
その輪の中心で、小さな人影がいくつか、懸命に動き回っていた。

どうやら体育祭のようだ。

(体育祭かぁ……懐かしいなぁ体育祭。……あれ、体育祭? 何やったっけな?)


体育祭に関する思い出が無いのは、僕が文化系の人間であったからで、
文化系の人間はきっと皆そうだろうと思う。

小学校、中学校時代の僕は背が低く、運動関係はまったく駄目だった。
視力に加えて性格まで捻くれていたので、

「体育祭……読んで字の如し、体が育った人間たちの祭りだ。
 頭は育ってないが、体だけは頑丈だという輩が、今日1日だけ輝けるんだ」

そんなことを思ったりもしたが、実際のところ勉強さえも出来なかったのだから、
もうどうしようもない。


そう、僕は勉強が出来なかった。
だから上記の『体育祭に関する心の声』は多少成長した今だから書ける文章で、正確には

「たいくさい? うんどお部のやつらがめだつ行事ミソ。
 ボキには関係ないミソ」

こんな風に思っていた。
語尾にミソが付いていた。

更に言えば、運動が出来なかったことを「背が低かったから」と論じたが、
僕より背が低かったK山くんはサッカー部でめちゃくちゃ足が速く、
その結果モテていたので、
背の高低は、多分そんなに関係が無いのだと思う。
加えて、K山くんがモテていた理由は「足が速いから」だけでは無いのだろう。


まあ要するに、
学生生活において公的に輝ける瞬間からことごとく落ち零れていた僕であるが、
唯一、輝いた瞬間がある。

それは、高校時代のクラブ対抗リレーにおいて、だ。
この話は以前にもどこかでしたことがある。

僕は演劇部に所属していて、だからクラブ対抗リレーの「文化部枠」に出場した。
ちなみに僕は演劇部の部長であった。
この任命劇にも、「ほかに任せられる人材がいなかったから」と顧問に言われるという、
なんとも喜び辛いエピソードがあるのだが、それはまた別の話。


クラブ対抗リレーは、それぞれの部活が「それと分かる格好」でリレーをするという、
いわば息抜きのようなもので、基本的には誰も本気で走っていない。

そして文化部は、当然ながらユニフォームというものが存在しない。
学生服での作業が常であるし、演劇部ともなれば、練習着はジャージ、衣装は脚本によって様々だ。

我々演劇部は、顧問の鶴の一声により、衣装で走ることになった。
今までに演じられてきた様々な衣装が部室にある。それを引っ張り出し、適当に着るのだ。

僕は何故か看護婦だった。
理由はよく覚えてい無い。立候補したつもりはない。

ともあれレースは始まった。

部員からバトンを渡され、僕は走った。超走った。本気で走った。
前を行く女子生徒を抜きさり、大きく引き離す。
あの瞬間、僕は確かに風になっていた。

文化部と言えば、女子生徒が圧倒的に多い。
演劇部が参加するレースで、他の部活の生徒は皆女子ばかりだった。

だから、僕が速いのは当たり前なのだ。

高校生ともなれば、体格も変わる。筋力も変わってくる。
小学生の時はよく女の子に泣かされていたものだけれど、
高校生になってからは泣かされたことが無いのが自慢だ。それだけ強くなっていたのだ。

圧倒的早さで次の走者へバトンを渡す。
観客席からの喝采が聞こえた気がした。なんとなく。
後で聞いた話だが、観客席からは「クソ速いナースがいた!」とざわめきが起こったという。

それは僕だ。
僕こそが「クソ速いナース」だ。中身は男だ。
おそらくだが、ナースコールが鳴らされたときの夜勤の看護師くらい速かっただろう。

この時こそが、人生における「体育祭歴」において、唯一輝いていた瞬間であった。
後にも先にも、これ以上に活躍できた体育祭及び運動競技は無い。

今後も多分、一生無い。
体育祭は、育っている最中にしか行われ無いのだ。
育ちきった僕が参加する権利は……、

……いや、ある。あるじゃないか。
運動会の中で開催される、得点には絡まない父兄参加の一大イベントが!


ただ、父兄に成れる予定が今の所無いのが少し問題だが、
とりあえず、ナース服を買っておこう。

ナース服を着れば、僕は無敵なのだ。


買った瞬間に遠のく何かがあるような気がするが、気のせいだろう。

気がつけば12月。
もう今年が終わろうとしています。

色んなことをやり残しているので、
できれば終わって欲しくはないのですが、

まず皆様にお伝えしなければならないことがあります。

それは

『石はどうなった?』

ご存知のない方も多いと思いますのでお伝えしておきますと、
僕は先月、『結石』なるものを体内に宿しまして、
結果、救急車で運ばれるという一大イベントにまで発展しました。

これがパチンコであったならば、
この『結石リーチ』における『救急車緊急搬送』への発展は信頼度も高く、
出玉も相当なものが期待出来たでしょう。
(※その後、救急隊員が搬入先を決めるイベント有り。ここで決まらなければ即時終了)

まあ、結果パチンコではないので、玉も出なければ石も出ないんですが。
(おまけにパチンコについて殆ど知識がありません)


この『石』、僕の家系にはかなり馴染みのある病気らしく、
我が父は『結石』を患い幾度となく『救急車緊急搬送』へ発展させています。

僕はそれで「我は”石の一族”である」と自嘲していたのですが、
なんと実は我が兄も『石』が、しかも頰だか何だかに出来たとのことで恐らく唾石、

どうやら本当に”石の一族”であったのかも知れません。
あるいは、僕らの血には”石の呪い”が掛けられているのかも……。

例えば父が幼少の頃、村外れにある道祖神に立ち小便を引っ掛けたとか。
隣村に住んでいた商家の娘 石子(いしこ)を見染め良い仲になったはいいが、
裕福な家の娘 石子には見合いの話が舞い込んでおり、身を引こうとしている石子に
「次の祭りの日、迎えに行く。一緒に村を出て遠い所に逃げよう」と約束したは良いものの、
当日、父はすっかり忘れて”道祖神の前に置かれたお饅頭巡り”をしており、
忘れ去られてお嫁に行った石子と饅頭を盗られた道祖神の呪いである……とか、

色んな理由が考えられます。父最悪だな!


そんな経緯で僕の体に出来た『石』。
この石が出た記憶がないので、おそらくまだ僕の体内にある筈なのです。

先日病院を訪ねた所、レントゲンでは見えないと言われました。
CT検査はあまりやらない方が良いとの判断で、
しかしエコー検査をするにはその日僕に時間が無く、
「無い筈はないんだがなぁ」と担当医は申しており、

「もうしばらく様子を見て、年末に検査しましょう」とのこと。

果たして僕の体の中に『石』が有るのか無いのか。
答えが今年中に出ると良いのですが。

石と共に年を越す可能性も、否定出来無くなってまいりました。

結石が出なかった際、衝撃波で石を壊す手術のことを
『体外衝撃波結石破砕術』と言うらしいですが、
なんか超格好良いですね。

石の一族だけが使える技か、はたまた、石の一族を滅ぼす技か。
僕にはまだ、分かりません。


皆様も”石の一族”にならぬよう、村の道祖神に悪さはしないように。

バック・トゥ・ザ・未来

バック・トゥ・ザ・フューチャーPart2にて、空飛ぶデロリアンがマーティとドク、
そして恋人のジェニファーを乗せて飛んでいった未来。

デロリアン内部の操作盤に表示された日付は、

『2015年10月21日』

つまり今日だ。


映画の中では、車もスケートボードも空を飛び、上着も靴も自動でサイズが合う。
街を歩けば画面が飛び出し、カフェに店員はおらず、自動で注文が出てくる。

そんな未来が、やって来ているだろうか。
幾つかは現実になりつつあるらしいけれど、目玉の車はまだ飛ばない。

僕がこの映画を初めて見たのは、多分小学生の頃だったと思う。
「未来ってこんなことになるのか!」
そう純粋に感じていたかどうかは分からないけれど、
この映画で描かれている「未来」と同じ時間に自分がいるだなんて、
想像もしていなかった。
映画の未来はもっとずっと遠い先の話で、自分とは関係のない世界だと思っていた。


映画の中でマーティとドクは、不幸になってしまった自分の未来を変えようと奔走する。

あの頃の僕が、今の僕を見たとして、
「未来を変えなきゃ」と思うだろうか。

マーティとドクがデロリアンを使うように、もし未来を変える術を知っていたら、
変えようとするだろうか。


……するかもしれない。

もし彼が今の僕の前に現れたなら、
「僕はもっと輝かしい人間になっているはずだよ」と言うかもしれない。

「普段はそんなに密に連絡を取り合っているわけじゃないけど、何かあった時には電話一本ですぐに集まって、騒ぎあい、助け合い、楽しい一夜を過ごすような友達……いないの?」

「そんなに運命的な出会いってわけじゃなかったけれど、妙に気が合って、一緒にいると落ち着いて、だから、きっとこいつと結婚するんだろうなってふとした時に考えちゃうような彼女……いないの?」

「あれ、映画……一人で行くの? 誰かと感情を共有したりしないの?」

そんなことを言われるかもしれない。
もし、そんな事を言われたら、僕は過去の僕に言ってやろう。

「うるせえバーカ!」と。

「そんな夢みたいなことばっかり望んでるから、俺みたいになるんじゃ! 言わばお前のせいじゃ!
俺がお前を変えたいくらいだ!」と。

多分泣くだろう。昔の僕は泣き虫だったから。
そして、僕も泣くかもしれない。最近涙腺がぶっこわれてきているから。

けれどいつまで待っても、マーティ的僕も、セワシくん的僕孫も、誰も救いに来てくれない。
結局、未来の自分を変える事もできないし、過去の自分にアドバイスをする事もできない。


僕を変える事ができるのは、僕しかいないのだ!


……ええ……そうなんですか……?
そんな結論、面白くないんですけど……。


とりあえず、過去の僕にあんまりひどく思われないようにしないと。
でないとあいつ、多分また泣くだろうから。

彼方からお知らせ

賽助という小説家がいて、これがまた酷い男である。

どれほど酷いのか、枚挙に暇がないので割愛するが、
10月25日の日曜日、彼は墨田区のとあるホールで和太鼓を演奏することになっている。

町の小さなイベントで、1階ではおでんとか綿あめとかが売られているらしい。
演奏時間も15分ほどだし、客席もとても少ないのだが、
彼はそのアットホームな感じがとても気に入っていた。

思えば1年ほど前、彼が所属する和太鼓集団「暁天」が渡露する前に、
同じ場所で和太鼓の演奏を披露したことがある。

演奏終了後、館長と思しきご婦人が壇上に立たれ、

「彼らはね、この『BIGSHIP』で太鼓を叩いたあと、ロシアで演奏するの。
 『BIGSHIP』というのは、大きな船、色々な芸術家を船出させたいという意味があるんだけど、
 彼らも、私たちの元を離れ、日本から出て、ロシアに船出して行きます。
 そしてまたこの『BIGSHIP』に帰ってきて、太鼓の演奏を聴かせて欲しいわ!」

だいたいこんな感じのことを仰られた。

私たちがご婦人と会ったのは、まさに演奏終了後の壇上が初めてのことで、
実際のところ会話の一つもしたことはなく、『BIGSHIP』での演奏も初めてだったのだが、
なんか「巣立っていく」「ワシが育てた」的なニュアンスがふんだんに含まれていた。

(これが……これが下町力なのだ!)

彼はいたく感心した。とても良いと思った。
なので、彼は再び『BIGSHIP』のイベントに出演出来ることに、
ちょっぴり喜びを感じている。

彼は体力的にも衰えを見せはじめ、『ヴィーナス&ブレイブス』であるならば、
「こいつ、これ以上育てても意味ないな……」とプレイヤーに思われ、
以後パーティーから外されてしまう感じになりつつあるのだが、

はて、どうなることやら。

                                                                                                                                                • -

『BIGSHIPまつり2015』
日時:2015年10月25日(日)、演奏は15:30分〜45分までを予定
場所:墨田区本所地域プラザ「BIGSHIP」4F、スターボードホールにて
料金:無料

詳しくは下記URLより「当館主催のイベント」ページに記載されています。
http://www.cp-bigship.net/

彼方のはなし

賽助という小説家がいて、これがまあたいそう酷い男である。

どれほど酷い男なのか、その逸話は枚挙に暇が無く、
まだ一冊しか出していないのに小説家を名乗る辺り、
なかなか図太い男であることは理解出来るのだが、
それにしても酷い男なのだ。

例えば彼は先日、担当と打ち合わせのため、新宿の某喫茶店に出向いた。
どうやら次の小説についての話らしく、
彼が頑張れば、次の作品を世に発表できるかも知れないという。

「もう一冊出れば、これはいよいよ小説家を名乗って良いはず」

彼は鼻息を荒くした。

しかし、出ると確約されたわけではなく、やらなければならないことは山積みな筈なのだが、
彼はなんだかもう次の作品が出たような気になっていて、
家に帰ると「ま、一旦」とゲームを起動し、
止せば良いのにガンダム遊戯に勤しみながら「ちくしょう!」と叫び声を上げ続けた。

ようするに屑なのだ。

そんな屑が、今日も一人で映画館に出かけた。

『心が叫びたがっている』というアニメーション映画を観て、
とある野球部員の行動に涙を流しつつ、
「なんだか物語に出てくる野球部員は良い奴が多い気がするなぁ」
と少し疑問に思った。

彼もまた、中学生の頃は野球部員であった筈なのだが、
二年間所属したのち卓球部に移籍したので、
良い奴にはなれなかった。

もし彼が野球を続けていたなら、彼の人生はもう少し真っ当だったかも知れない。
非常に残念な話だ。

ちなみに、彼がその野球部に所属していたとき、
一度だけ代打で練習試合に出場したことがある。

打席に立った彼は、チラと顧問の先生を見る。
顧問はパッパとハンドサインで指示をしていたが、
彼には全く意味が分からなかった。

サインなんて教わってなかったのだ。

しかし、彼にサインは必要なかった。
打つから、ではない。
打たないからだ。

彼があまりにも背が低かっただろう、
打席に立つ前、顧問の先生から「バットを振るな」と言われていた。
なので彼はその言いつけ通り、一度もバットを振らなかった。

顧問の作戦は見事的中し、四球をものにした彼はてくてくと一塁へ歩いた。
そして、その後「代走」の指示が下り、彼はベンチに引っ込むことになる。

彼は打撃も、走塁も、全く期待されていなかったのだ。

普通ならば、そこで心に傷の一つでも負いそうなものだが、
彼は「名采配だなぁ」と感心していたのだから仕方が無い。

ただ、彼が野球部を辞めると顧問に告げた時、
「お前は磨けば光るのに」と言われた事に対しては、

「うそつけ!」と心の中で叫んだ。叫びながら辞めた。

しかし、『磨けば光る(四球要員として)』であったのかも知れない、
そうなると、ある意味切り札として活躍できていたのではないか?
これは惜しいことをしたなあ……などと今の彼は思ったりするのだが、
その後の彼は身長が人並みになってしまうので、
結局、四球要員としての寿命は短かったであろう。

むしろ、もっと真剣に野球に取り組んでおくべきだったのだが、
そこはあまり考えていない所も、彼の酷さを象徴していると言える。

その後、部員の少ない卓球部へ移籍し、一度だけ出た公式戦にて、
そこで本来なら用意すべきだったゼッケンを用意し忘れ、
急遽、着てきたYシャツを切り取り、安全ピンで留めて参加する、という、
非常に情けなく愚かしい過去もあるのだが、
それはまた別の機会に。

彼方のはなし

賽助という小説家がいて、これがまあたいそう酷い男である。

どれほど酷い男なのか、その逸話は枚挙に暇が無く、
まだ一冊しか出していないのに小説家を名乗る辺り、
なかなか図太い男であることは理解出来るのだが、
それにしても酷い男なのだ。

例えば彼は先日、担当と打ち合わせのため、新宿の某喫茶店に出向いた。
どうやら次の小説についての話らしく、
彼が頑張れば、次の作品を世に発表できるかも知れないという。

「もう一冊出れば、これはいよいよ小説家を名乗って良いはず」

彼は鼻息を荒くした。

しかし、出ると確約されたわけではなく、やらなければならないことは山積みな筈なのだが、
彼はなんだかもう次の作品が出たような気になっていて、
家に帰ると「ま、一旦」とゲームを起動し、
止せば良いのにガンダム遊戯に勤しみながら「ちくしょう!」と叫び声を上げ続けた。

ようするに屑なのだ。

そんな屑が、今日も一人で映画館に出かけた。

『心が叫びたがっている』というアニメーション映画を観て、
とある野球部員の行動に涙を流しつつ、
「なんだか物語に出てくる野球部員は良い奴が多い気がするなぁ」
と少し疑問に思った。

彼もまた、中学生の頃は野球部員であった筈なのだが、
二年間所属したのち卓球部に移籍したので、
良い奴にはなれなかった。

もし彼が野球を続けていたなら、彼の人生はもう少し真っ当だったかも知れない。
非常に残念な話だ。

ちなみに、彼がその野球部に所属していたとき、
一度だけ代打で練習試合に出場したことがある。

打席に立った彼は、チラと顧問の先生を見る。
顧問はパッパとハンドサインで指示をしていたが、
彼には全く意味が分からなかった。

サインなんて教わってなかったのだ。

しかし、彼にサインは必要なかった。
打つから、ではない。
打たないからだ。

彼があまりにも背が低かっただろう、
打席に立つ前、顧問の先生から「バットを振るな」と言われていた。
なので彼はその言いつけ通り、一度もバットを振らなかった。

顧問の作戦は見事的中し、四球をものにした彼はてくてくと一塁へ歩いた。
そして、その後「代走」の指示が下り、彼はベンチに引っ込むことになる。

彼は打撃も、走塁も、全く期待されていなかったのだ。

普通ならば、そこで心に傷の一つでも負いそうなものだが、
彼は「名采配だなぁ」と感心していたのだから仕方が無い。

ただ、彼が野球部を辞めると顧問に告げた時、
「お前は磨けば光るのに」と言われた事に対しては、

「うそつけ!」と心の中で叫んだ。叫びながら辞めた。

しかし、『磨けば光る(四球要員として)』であったのかも知れない、
そうなると、ある意味切り札として活躍できていたのではないか?
これは惜しいことをしたなあ……などと今の彼は思ったりするのだが、
その後の彼は身長が人並みになってしまうので、
結局、四球要員としての寿命は短かったであろう。

むしろ、もっと真剣に野球に取り組んでおくべきだったのだが、
そこはあまり考えていない所も、彼の酷さを象徴していると言える。

その後、部員の少ない卓球部へ移籍し、一度だけ出た公式戦にて、
そこで本来なら用意すべきだったゼッケンを用意し忘れ、
急遽、着てきたYシャツを切り取り、安全ピンで留めて参加する、という、
非常に情けなく愚かしい過去もあるのだが、
それはまた別の機会に。